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郄穴について

今回は郄穴です。
『素問』、『霊枢』では郄穴としての郄の使い方はされていません。
「郄中」という委中の別名ででてくるぐらいです。

『脈経』にも郄穴は載っていません。

『鍼灸甲乙経』には、

府舍は腹結の下三寸に在り。足太陰、陰維、厥陰の会。此の脉は上下に腹に入り、胸を絡い、心肺に結す。脇を上りて肩に至る。此れ太陰の郄。三陰、陽明の支別なり。刺入七分。灸五壯。

孔最は手太陰の郄。腕を去ること七寸。金二七、水の父母.刺入三呼。留三分。灸五壯。

郄門は手心主の郄。腕を去ること五寸。刺入三分。灸三壯。

陰郄は手少陰の郄。掌後の脈中、腕を去ること五分に在り。刺入三分。灸三壯。

温溜は一名を逆注。一名を蛇頭。手陽明の郄。腕の後、少士は五寸、大士は六寸に在り。刺入三分。灸三壯。

会宗は手少陽の郄。腕の後三寸の空中に在り。刺入三分。灸三壯。

養老は手太陽の郄。手の踝骨の上の一空、腕の後一寸の陷なる者の中に在り。刺入三分。灸三壯。

地機は一名を脾舍。足の太陰の郄。別ちて上一寸を走る。空は膝下五寸に在り。刺入三分。灸三壯。

中郄は一名を中都。足厥陰の郄。内踝の上七寸、䯒骨中に在り。少陰と相い直す。刺入三分。留六呼。灸五壯。

水泉は足少陰の郄。太谿を去ること下一寸、足の内踝下に在り。刺入四分。灸五壯。

交信は足の内踝上の二寸、少陰の前、太陰の後廉、筋骨間に在り。陰蹻の郄。刺入四分。留三呼。灸三壯。

築賓は陰維の郄。在足の内踝の上、腨分中に在り。刺入三分。灸五壯。

梁丘は足陽明の郄。膝上二寸に在り。刺入三分。灸三壯。

外丘は足少陽の郄。少陽の生ずる所。足の内踝の上七寸に在り。刺入三分。灸三壯。

陽交は一名を別陽。一名を足窌。陽維の郄。在外踝の上七寸、斜めに三陽の分肉間に在り。刺入六分。留七呼。灸三壯。

金門は一名を関梁。足太陽の郄。足の外踝の下に在り。陽維の別属する所なり。刺入三分。灸三壯。

付陽は陽蹻の郄。足の外踝の上三寸、太陽の前、少陽の後、筋骨間に在り。刺入六分。留七呼。灸三壯。

とし、十七の郄穴を紹介しています。
歴史的には郄穴はいきなり登場したといっても過言ではありません。
現在は府舍を郄穴として数えていませんが、地機の代わりに府舍を使ってもおもしろいかもしれません。
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腹部募穴について

今回は募穴についてです。
『素問』、『霊枢』には「募穴」についての概念はありませんが、いくつかでてきます。

『素問』通評虚実論 第二十八

腹暴かに満ち、之れを按じて下らざるは、手太陽經の絡なる者、胃の募なる、少陰の兪、脊椎を去ること三寸の傍らを五取り、員利鍼を用う。

『素問』奇病論 第四十七

帝曰く、病に口苦有りて陽陵泉を取るも口苦ある者は、病名づけて何と為すや。何を以って之れを得るや?
歧伯曰く、病は名づけて膽癉と曰く。夫れ肝なる者は中の將なり。取决を胆に取り、咽は之れが使と為す。
此の人なる者は、数しば謀慮して決せず。故に胆が虚し、気は上溢して口は之れが為に苦し。之れを治するに胆の募俞を以てす。治は《陰陽十二宮相使》中に在り。

このように胃と胆の募については出てきますが、具体的な経穴名までは分かりません。(まぁ「胆募」とか「胃募」とかも経穴名ととらえることはできますが、現在の中脘と日月を指すかどうかまでは分かりません。)また、『霊枢』百病始生篇 第六十六、『霊枢』歳露論 第七十九に「募原」という用語が見えますが、所謂募穴と原穴のことではないようです。

募穴はどのように使うかは『難経』によってようやくでてきます。

『難経』六十七難には、

五蔵の募は皆な陰に在り、兪は陽に在るとは何の謂いぞや。
然るなり、陰病は陽に行り、陽病は陰に行る。
故に募は陰に在り、兪は陽に在らしめる。

とあります。ここでは経穴名までは載っていません。

具体的な経穴については、『脈経』巻三でようやく出てきます。
肝胆部 第一

募は期門に在り。
募は日月に在り。

心小腸部 第二

募は巨闕に在り。
募は関元に在り。

脾胃部 第三

募は章門に在り。
募は太倉に在り。

肺大腸部 第四

募は中府に在り。
募は天枢に在り。

腎膀胱部 第五

募は京門に在り。
募は中極に在り。

とあります。
このように、『脈経』では心主と三焦以外の募穴について書かれています。
『脈経』巻之六には心主以外の十二経脈の病症について書かれています。その中に灸の治療穴として兪募穴が挙げられていますが、それはあくまで陰経のみであり、陽経では他の治療穴が書かれているようです。

『鍼灸甲乙経』では、

期門は、肝の募なり。

日月は膽の募なり。

巨闕は心の募なり。

関元は小腸の募なり。

章門は脾の募なり。

中脘は一名を太倉、胃の募なり。

中府は、肺の募なり。

天枢は大腸の募なり。

京門は腎の募なり。

中極は膀胱の募なり。

石門は三焦の募なり。

とあり、心包以外の募穴が定まっています。
残りの心包の募穴については明代の『類経図翼』にも記されていないため、心包には長らく募穴が存在していないと考えられていたようです。
いつから心包の募穴が言われ出したかと言うと、どうやら澤田流の代田文誌先生によるとのことです。

この表にもあるように、上記十一経には募穴があるが、心包経には募穴がない。これは古典に於ける遺落であると私は思っている。心包の募は膻中であるらしい。私は膻中をもつて心包絡の募として用ひてる。
(略)
(註。膻中が心包の募穴であるとの主張は、私の創設であって、既に昭和十五年頃からこれを主張し、昭和十五年に刊行した「鍼灸治療基礎学」第一版においてこれを述べている。)」

(「鍼灸治療基礎学」P35-P36)
浦山玖蔵先生によるとこのような経緯から、現在の中医学では心包の募穴は定められていないといいます。

戦後の一時期、中医学においてもこの説を採用する動きが見られたが、1980年代以降は採用されていない。

つまる所、募穴は心包募以外の十一穴であるとのことでしょう。日本では心包募=膻中としているのでこの考え方はむしろ異端になるでしょうけどね。

背部兪穴について

今回は背部兪穴です。

背部兪穴は『霊枢』背輸篇 第五十一に記述があります。

黄帝が岐伯に問いて曰く、願わくは五藏の腧の背に出でる者を聞かん。
岐伯曰わく、
胸中大腧は杼骨の端に在り。
肺腧は三焦の間に在り。
心腧は五焦の間に在り。
膈腧は七焦の間に在り。
肝腧は九焦の間に在り。
脾腧は十一焦の間に在り。
腎腧は十四焦の閒に在り。
皆な脊を挟みて相い去ること三寸所。
則ち得て之れを験べんと欲すれば、其の処を按じて応えの中に在れば痛み解く。
乃ち其の腧なり。
之れに灸するは則ち可し。之れに刺すは則ち可からず。
気盛んなれば則ち之れを寫し、虚なれば則ち之れを補う。

ここでは五蔵の背部兪穴の外に、胸中大兪と膈兪の二つが載っています。「焦」とは「椎」のことです。
膈兪は今でもありますが、胸中大兪とは聞きなれません。
『太素』の註には、

杼骨は一名に大杼。五藏六府の輸の上に在り。故に是れ胸の膻中、気の大輸なる者なり。

とあり、どうやら胸中大兪は大杼のことのようです。
恐らくですが、この篇は五蔵の兪穴を記しているのではなく、単に背中の治療ポイントを記しているに過ぎないのではないでしょうか。
でないと胸中大兪と膈兪は紛れ込んでこないと思います。肝兪より上は肺先があるので、刺法ではなく灸法を推奨しているのでしょう。

背輸篇ではこの七穴を兪穴としいます。
五蔵の兪穴には触れられていますが、六府については触れられていません。
胸中大兪は現在では腧穴とすることはありません。ですが、大杼は衝脈の上の兪、熱病五十九輸、五乱の気が頭にあるときの治療穴、刺節真邪論の徹衣の治療穴、八会穴の骨会というように、『素問』『霊枢』ではあちこちにでてきます。古代ではかなり重要な穴であることが窺えるので、ここに含まれていてもおかしくはありません。
膈兪も「膏」や「肓」に関係があっておかれてるのでしょう。

『難経』六十七難には、

五蔵の募は皆な陰に在り、兪は陽に在るとは何の謂いぞや。
然るなり、陰病は陽に行り、陽病は陰に行る。
故に募は陰に在り、兪は陽に在らしめる。

とあります。
具体的な経穴についての記述はありませんが、兪穴と募穴の使い方について書かれています。

『脈経』巻三には、『霊枢』背腧篇よりも更に詳しく書かれています。
肝胆部 第一

肝兪は背の第九椎に在り。
胆兪は背の第十椎に在り。

心小腸部 第二

心兪は背の第五椎に在り。
小腸兪は背の第十八椎に在り。

脾胃部 第三

脾兪は背の第十一椎に在り。
胃兪は背の第十二椎に在り。

肺大腸部 第四

肺兪は背の第三椎[或いは第五椎なり。]に在り。
大腸兪は背の第十六椎に在り。

腎膀胱部 第五

腎兪は背の第十四椎に在り。
膀胱兪は背の第十九椎に在り。

このように、『脈経』では心主と三焦以外の背部兪穴について書かれています。
『脈経』巻之六には心主以外の十二経脈の病症について書かれています。その中に灸の治療穴として兪募穴が挙げられていますが、それはあくまで陰経のみであり、陽経では他の治療穴が書かれているようです。

『鍼灸甲乙経』背自第一椎両傍挟脊各一寸五分下至節凡四十二穴 第八には、

肺兪は第三椎下両傍の各々一寸五分に在り。
心兪は第五椎下両傍の各々一寸五分に在り。
膈兪は第七椎下両傍の各々一寸五分に在り。
肝兪は第九椎下両傍の各々一寸五分に在り。
胆兪は第十椎下両傍の各々一寸五分に在り。
脾兪は第十一椎下両傍の各々一寸五分に在り。
胃兪は第十二椎下両傍の各々一寸五分に在り。
三焦兪は第十三椎下両傍の各々一寸五分に在り。
腎兪は第十四椎下両傍の各々一寸五分に在り。
大腸兪は第十六椎下両傍の各々一寸五分に在り。
小腸兪は第十八椎下両傍の各々一寸五分に在り。
膀胱兪は第十九椎下両傍の各々一寸五分に在り。

とあり、厥陰兪以外の兪穴がそろいます。

では残った厥陰兪はいつから言われだしたかというと、桑原陽二氏によると『千金翼方』が出所のようです。
『千金翼方』鍼灸中 肺病第七 治奔豚上気法

第四椎は名づけて厥兪と曰う。胸膈中気を主る。灸は年に随えて壮す。

また、『銅人兪穴鍼灸図経』の記述をみると、

厥陰兪。二穴。第四椎下の両傍を相い去ること各々一寸五分に在り。
逆気嘔吐、心痛、留結、胸中煩悶を治す。鍼入三分、灸は七七壮すべし。『山眺経』に出づ。

として、『山眺経』なる文献が出所としています。
この『山眺経』と『千金翼方』のどちらが古いかは分かりませんが、少なくとも唐代には厥陰兪が見つけられていたということでしょう。
ただし、『千金翼方』の鍼灸上 三陰三陽流注法では、

心主手厥陰 中衝 労宮 大陵 内関 間使 曲沢 募、巨闕 兪、五椎
心手少陰  少衝 少府 神門 通里 霊道 少海

としているので、少なくとも孫思邈(そんしばく)は厥兪を以て心主経の兪穴とはしていないようです。
やはり心主(心包)はできた経緯が特別なものと考えてもよさそうです。

おまけとして、残りの~兪となっている経穴についても調べてみました。
それぞれの出典は、

腰兪:『素問』繆刺論篇 第六十三
中膂兪:『霊枢』刺節真邪篇 第七十五

臑兪:『鍼灸甲乙経』
肓兪:『鍼灸甲乙経』
肩外兪:『鍼灸甲乙経』
肩中兪:『鍼灸甲乙経』
白環兪:『鍼灸甲乙経』

気海兪:『太平聖恵方』
関元兪:『太平聖恵方』

のようです。腰兪、中膂兪は、こういう時はここが使えるよ、ぐらいにしか紹介されていないので詳しいことは分かりません。
中膂内兪は、徹衣の刺法の一つに数えられていて、

岐伯曰く、之れを其の天府、大杼に取りて三痏(い)す。又(ま)た、中膂に刺すを以て其の熱を去り、足手の太陰を補うを以て其の汗を去る。

とあり、大杼と組み合わせて使われることもあるようです。

後代の註釈ではいろいろと役割があるとしているようなので、これらについては改めて書こうと思います。

第21回のはり師・きゅう師の合格発表がありましたね

先日、3/27日に第21回のはり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の合格発表がありました。
僕の知り合いのほとんどの方が合格されたようです。
合格された皆様、おめでとうございます。

http://www.human-world.co.jp/ahaki_world/newsfile/13/newsf130327_1.html
によると、

あマ指:86.3%
はり師:77.7%
きゅう師:79.0%

のようです。あマ指は例年並み。はり師は、きゅう師は18回ぐらいの合格率になったようです。
ということは、元の流れに戻ったようですね。
(ここ数年で一番簡単だった19回は、あマ指:87.0%、はり師:83.0%、きゅう師:83.6%、一番難しかった20回は、あマ指:83.4%、はり師:72.8%、きゅう師:70.0%)
厚労省が締め上げにかからなければ、来年は75~76%ぐらいの合格率になりそうですね。

22回の試験を受けるみなさん、勉強は早くからしなくても良いんで、勉強できる準備だけは早めにしておいた方が良いですよ。経穴や筋肉の起始、停止を赤で書くとかそんなんで充分なので。
そんな作業を11月ぐらいになって、初めて1から作ったら遅すぎですからね。速く準備してて損はないです。
まとめといたものを短期間で一気に覚える方が効率が良いと思いますしね。

原穴について

今回は原穴について書こうと思います。

(この記事は十二原穴についての焼き直しになります。こちらも参考にしてください。)

『霊枢』九針十二原篇 第一では、

陽中の少陰は肺なり。其の原は太淵に出づ。太淵二。
陽中の太陽は心なり。其の原は大陵に出づ。大陵二。
陰中の少陽は肝なり。其の原は太衝に出づ。太衝二。
陰中の至陰は脾なり。其の原は太白に出づ。太白二。
陰中の太陰は腎なり。其の原は太谿に出づ。太渓二。
膏の原は鳩尾に出づ。鳩尾一。
肓の原は脖胦に出づ。脖胦一。

また、『霊枢』本輸篇 第二では、

肺は少衝より出づ。… 太淵に注ぐ。… 兪と為す。
心は中衝より出づ。… 大陵に注ぐ。… 兪と為す。
肝は大敦より出づ。… 太衝に注ぐ。… 兪と為す。
脾は隠白より出づ。… 太白に注ぐ。… 兪と為す。
腎は湧泉より出づ。… 太谿に注ぐ。… 兪と為す。
膀胱は至陰より出づ。… 束骨に注ぐ。… 兪と為す。京骨に過る。… 原と為す。
膽は竅陰より出づ。… 臨泣に注ぐ。… 兪と為す。丘墟に過る。… 原と為す。
胃は厲兌より出づ。… 陥谷に注ぐ。… 兪と為す。衝陽に過る。… 原と為す。
三焦は上りて手の少陽に合して関衝より出づ。… 中渚に注ぐ。… 兪と為す。陽池に過る。… 原と為す。
小腸は上りて太陽に合して少沢より出づ。… 後谿に注ぐ。… 兪と為す。腕骨に過る。… 原と為す。
大腸は上りて手の陽明に合して商陽より出づ。…三間に注ぐ。… 兪と為す。合谷に過る。… 原と為す。


原穴について詳しくかかれているのは、『素問』『霊枢』でもこの二篇ぐらいですが、この二篇は意が異なります。
まず「九針十二原篇 第一」では、原穴とは、五蔵の原穴の左右二穴ずつと、膏と肓の原の計十二穴を指します。ここでは陽経が入り込んでいないのと、あまり聞きなれない膏と肓の原があるということです。

次の「本輸篇 第二」では、現在の十二原穴に近づいたように見えます。しかしよくよく記述を見てみると、陰経はあくまで兪穴であり、原穴を規定していません。ここからでは現在のように兪土穴と原穴が一致しているとみていいのかも怪しく、むしろ兪穴と原穴は別物のような感じも受けます。

この二篇で共通しているのは、心経の要穴は現在言われているものと異なり、現在で言う心包経である点です。
これに関して左合昌美先生の意見が説得力があるように思われます。

手の陰経の経脈は、『霊枢』経脈篇にもとづく現在の常識では三本ですが、『足臂十一脈灸経』『陰陽十一脈灸経』には二本しかありません。どうも経脈を循環させる都合から、経脈篇の編者が手の陰側の経脈を一本増やして、それまで少陰と呼ばれていた経脈を厥陰と呼び変え、新しく加えた経脈を少陰としたようです。

(よくわかる黄帝内経の基本と仕組み P68)

この見解から類推するに、まず『十一脈灸経』(現在最古の経脈の文献)の時代には手の陰経にあたる経絡は現在のように三つではなく、二つしかなかったので、経脈循環の観点から三本にさせたいと考えた経脈篇の編者が手の陰側の経脈を一本増やし、それまで少陰と呼ばれていた経脈を厥陰と呼び変え、新しく加えた経脈を少陰とした。しかし、名称については初めは混乱があったか、現在の心包経は当時は心経と呼ばれていたかのどちかでないと、「九針十二原篇」と「本輸篇」での心経の五行穴と原穴の記述はおかしくなります。
「本輸篇」での冒頭に、

黄帝が岐伯に問いて曰わく、凡そ刺の道は必ず通十二経絡の終始する所に通ず。

とあるにもかかわらず、上記のように現在の心経にあたる経脈の要穴については書かれていません。
「本輸篇」に

是れ五藏六府の腧を謂う。五五二十五腧、六六三十六腧なり。

とあるので、五蔵は五つ、六府は六つの計十一脈であるとしているため、脱簡しているとは考えにくいのです。これは奇数は陽、偶数は陰の考え方が反映されているとも考えられますが、左合先生のおっしゃれるような課程があったからと考える方が納得できます。経脈を新しく作ったからこそ所属経穴も未知数であったために要穴が書けなかったということではないでしょうか。そのため、後代の人はこのことを説明しきれないため、心は君主だから病んではいけないから心主(心包)が心の代わりに病んでいる、という最もらしい理由を述べてごまかしているのかもしれません。

『素問』『霊枢』には経脈の心主経としての記述は割合ありますが、その所属経穴に関してはほとんどありません。唯一、
『霊枢』本輸篇 第二

腋下三寸は手心主なり。名づけて天池と曰く。


という天池の記述がありますが、これは動脈についての話の中なので、ツボの名前なのか動脈の名前なのか、はたまた両方の意味を含んでいるのかはいまいちはっきりしません。


また、どうやら初期では心主や心包は厥陰であるという認識が薄かったようで、『霊枢』のなかでは経脈篇の流注説明のみ厥陰と関係があるようになっています。

心主なる手厥陰心包絡の脈は、胸中に起こり、出でて心包に属し、膈に下りて三焦を歴絡す。
其の支(えだ)なる者は、胸を循(めぐ)りて脇に出で、腋三寸を下り、上りて腋下に抵り、下りて臑内を循り、、太陰、少陰の間を行りて肘中に入る。臂に下りて両筋の間を行き、掌中に入り、中指を循(めぐ)り、其の端に出づ。
其の支別なる者は、掌の中より小指の次指を循りて其の端に出ず。


他は、

手心主の別名は内関と曰う。
腕を去ること二寸。両筋の閒に出で、経を循るを以て上は心包絡、心系に繋る。


のように「手心主」と表現されており、経絡で厥陰を示している場合は、ほぼ総べて肝経を指しているようです。
他の五臓六腑では、手太陰、手少陽など、手足と陰陽が結びついた記述は普通に見受けられますが、心主のみ手心主が主流であったことを考えると、手厥陰という表現はあまり受け入れられなかったように思われます。

時代は下り、『難経』六十六難では、

経に言う、肺の原は太淵に出で、心の原は大陵に出で、肝の原は太衝に出で、脾の原は太白に出で、腎の原は太渓に出で、少陰の原は兌骨に出で、膽の原は丘墟に出で、胃の原は衝陽に出で、三焦の原は陽地に出で、膀胱の原は京骨に出で、大腸の原は合谷に出で、小腸の原は腕骨に出でる、と。


心の原穴は依然大陵になっていますが、「本輸篇」とは違う点は、新たに「少陰の原」が付け加えられていることです。この「少陰の原」として挙げられている「兌骨」とは、現在の神門穴のことです。

ここでようやく十二経脈すべての原穴について記述されました。「心」は現在の心包経、「少陰」は現在の心経であることは明らかです。やはり『霊枢』と同じように名称の混乱がまだみられます。

後の『鍼灸甲乙経』では、

大陵は土なり。
掌後の両筋の間の䧟なる者の中に在り。
手心主脈の注ぐ所なり。俞と為す。
刺入六分、留七呼、灸三壯。

神門は土なり。一名は兌衝、一名は中都。
掌後の兌骨の端の䧟なる者の中に在り。手少陰脈の注ぐ所なり。俞と為す。
刺入三分、留七呼、灸三壯。


としており、両者は確実に分けられていることが分かります。あいかわらず「手厥陰」は、「手心主」となっていますが。しかし、ここでもあくまで兪穴であり、原穴については言及されていません。
想像の域ですが、兪穴と原穴は別系統の考えであったものが、時代がたつことによって次第に混同され、陰経では原穴と兪穴は同じものであるという認識にいたってのではないでしょうか。単に陰経の本輸は五つ、陽経の本輸は六つの世界観を崩したくなかったために、あえて陰経の原穴については触れられなかったとも考えられますが。
元代以降、「手心主」は「手厥陰」に統一されたようで、それが主流となり、現在では手心主という表現は一般的ではなくなりました。

陰経では原穴と兪穴は同じという考えが一般的ですが、実はこれらを明確に分けている文献もあります。
『千金方』における陰経の「過る所」の記述で調べたように、孫思邈の『千金要方』『千金翼方』です。

『孫眞人備急千金要方』 巻之八十八
鍼灸方 三隂三陽流注法 第二上 手三隂三關穴流注の法

凡そ孔穴は、
出る所を井と為す。
流るる所を榮と為す。
注ぐ所を輸と為す。
過ぎる所を源と為す。
行る所を經と為す。
入る所を合と為す。

灸刺大法
春に滎を取る。
夏に輸を取る。
季夏に經を取る。
秋に合を取る。
冬に井を取る。


少商に出(い)でて井と為す。
手の太陰の脈なり。
魚際に流れて滎と為す。
大泉に注ぎて輸と為す。
列缺に過(よ)ぎりて源と為す。
經渠に行(め)ぐりて經と為す。
尺澤に入(い)りて合と為す。


中衝に出でて井と為す。
心包絡の脈なり。
労宮に流れて滎と為す。
大陵に注ぎて輸と為す。
内関に過ぎりて源と為す。
間使に行ぐりて經と為す。
曲澤に入りて合と為す。


少衝に出でて井と為す。
手の少陰の脈なり。
少府に流れて滎と為す。
神門に注ぎて輸と為す。
通里に過ぎりて源と為す。
霊道に行ぐりて經と為す。
少海に入りて合と為す。


『孫眞人備急千金要方』 巻之八十八
鍼灸方 三隂三陽流注法 第二下 足三隂三關穴流注の法


隱白に出でて井と為す。
足の太陰の脈なり。
大都に流れて滎と為す。
太白に注ぎて輸と為す。
公孫に過ぎりて源と為す。
商丘に行ぐりて経と為す。
陰陵泉に入りて合と為す。


大敦に出でて井と為す。
足の厥陰の脈なり。
行間に流れて滎と為す。
太衝に注ぎて輸と為す。
中封に過ぎりて源と為す。
中都に行ぐりて経と為す。
曲泉に入りて合と為す。


涌泉に出でて井と為す。
足の少陰の脈なり。
然谷に流れて滎と為す。
太溪に注ぎて輸と為す。
水泉に過ぎりて源と為す。
伏留に行ぐりて経と為す。
陰谷に入りて合と為す。


ここでは「原穴」が「源穴」になっていますが、ほとんど意味が変わりません。
肝経は他の記述から考えるに、源穴と経金穴が入れ替わっている可能性が高いです。

この考え方は後の『銅人兪穴鍼灸図経』には引き継がれなかったのであまり知られていませんが、孫思邈が採用している以上、なにか重要な意味が有るのでしょう。

以上、原穴でした。よく使われているはずの原穴についても分かっているような分かっていないようなあいまいな部分が多く残されています。そのあいまいな部分を検討して見るのもおもしろいかもしれませんよ。

東洋医学的な胎児の成長とは

最近、おめでたいことに知り合いの方が妊娠されました。
そういえば、昔の中国人は胎児が成長する過程をどのようにして考えていたのでしょうか。
その一端が『淮南子』精神訓に書かれているので、今回はこれを紹介しようと思います。

夫れ精神は天より受くる所なり。而して形体は地に受くる所なり。
故に曰く、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は、陰を背として陽を抱き、冲気は以て和と為す、と。
故に曰く、一月にして肓、二月にして[月失]、三月にして胎、四月にして肌、五月にして筋、六月にして骨、七月にして成り、八月にして動き、九月にして躁ぎ、十月にして生ず。形体は以て成り、五蔵乃ち形す、と。
是のゆえに、肺は目を主り、腎は鼻を主り、胆は口を主り、肝は耳を主り、脾は舌を主る。
外は表と為して内は裏と為し、開閉張歙は、各々経紀有り。
故に頭の円なるや天を象り、足の方なるや地を象る。
天に四時、五行、九解、三百六十日有り。人も亦た四支、五蔵、九竅、三百六十六節有り。
天に風雨寒暑有り。人も亦た取与喜怒有り。
故に胆は雲と為し、肺は気と為し、肝は風と為し、腎は雨と為し、脾は雷と為し、以て天池と相い参わるなり。而して心は之れが主と為す。
是の故に耳目なる者は日月なり。血気なる者は風雨なり。
日中に踆烏有りて月中に蟾蜍有り。
日月が其の行を失えば薄蝕して光無く、風雨が其の時に非ざれば毀設して災を生じ、五星が其の行を失えば州、国は殃を受く。


とあります。よくよく見ると五蔵の配当が現在とは異なりますが、当時は諸説あって一定していないです。医学的に固定されたのは『素問』『霊枢』からでしょうが、哲学書なんかをみていると一定していない様子が見受けられるので、ここらへんについては気にしなくても大丈夫です。(参考として、いくつかの文献での五蔵の五行配当をならべておきます。)重要なのは、天地(陰陽)から人ができているということでしょう。

女性が妊娠すると、胎児は、
一月で肓(あぶら)が生じ、
二月で[月失](肉塊)となり、
三月で胎児の形となり、
四月で皮膚が生じ、
五月で筋肉ができ
六月で骨が固まり、
七月で形が整い、
八月で動きはじめ、
九月で躁(さわ)ぎだし、
十月で生まれる
としています。
現代医学的にもだいたいあっているような感じです。昔の人もよく観察していたのでしょう。
この十月十日で生まれてくる姙娠の課程ですが、数字のもつ意味とほぼ一致しているような感じです。こちらで書きましたが、もう一度表をだしてみると、

 
陰陽
五行
意味
生数
立つ
謀り事をめぐらす
出る
増す
結合
成数
興る
変化
伸び広がる
激しくなる
均しくなる

です。
だいたい一致するように思いませんか?ひょっとしたらこの数字の意味は姙娠の様子からヒントを得ているのかもしれません。

人は天地(陰陽)からできているのだから、自然界とも一致している、と論は続きます。天人合一の思想ですね。
日月、風雨、五星の順行が狂えばその影響も大きくでるように、人も五蔵の調子が悪くなると病気になりやすくなる、というのが最後の文なのでしょうね。
人も自然の一部だということを実感させられます。

追記
参考として、主な文献の五蔵の五行配当を載せておきます。
 
『管子』
水地篇
『五行伝』
月令
『淮南子』
時則訓
『明堂』
月令
『礼記』
月令
『呂氏春秋』
『説文』
月令
『太玄経』
『淮南子』
墜形訓
『白虎通』
精性
『素問』
『霊枢』
『夏候伝』

(「陰陽五行説―その発生と展開」(監修:根本光人、著者:根本幸夫・根井養智、薬業時報社  P97より)

順番は時代順ではないようです。
『素問』『霊枢』と配当が同じなのは『白虎通』精性、『夏候伝』、近いのは『淮南子』墜形訓のようです。
この表をみてみると、五蔵の五行配当はどうやら『月令』の系統と『白虎通』の系統の二種があるようですね。
これについても記事を別にして書こうと思います。

北極星と南極老人星

天文シリーズ、今回は北極星と南極老人星について書いていこうと思います。

北極星
現在の北極星は、こぐま座の星の一つで、ポラリスという名前がついています。
現在の、というちょっと引っかかる言い方をしたのは、実はポラリスは永遠に北極星というわけではなく、そのうち違う星と交替してしまうからです。
何故交替してしまうかというと、地球には歳差運動(さいさうんどう)-独楽を回していると軸が斜めになりつつも回転してると思いますが、あれが歳差運動です-があるから(自転の影響による歳差(春分点と秋分点の移動)、太陽や月の重力の影響による歳差(天の北極と天の南極の移動)、公転運動の影響による歳差(春分点と秋分点の移動))で、この運動の為に天の北極と天の南極も移動してしまいます。
約8000年後にははくちょう座のデネブ、約11000年後にはこと座のベガが北極星となるようです。
また、恒星自体もそれぞれ好き勝手に移動してたりする(特にうしかい座のアルクトゥルスは移動が大きいことで有名で、2.3秒/年というスピード(800年で満月一個分)で移動しているといわれています)ので、恒星といえども、実は星の位置は刻々とかわっているので、その意味でも北極星は永遠に同じ星というのはありえないです。

北極星の中国名
中国では北極星のことを北辰(ほくしん)もしくは紫微(しび)と呼んでいます。
北極星の化身である北辰妙見菩薩(ほくしんみょうげんぼさつ)にも北辰の名が冠せられていますし、道教では北極紫微大帝(ほっきょくしびたいてい)という神様もいます。
この北極紫微大帝は『封神演義』では文王・姫昌の息子、伯邑考が封ぜられたとされています。
太乙という神様も北極星に住むとされています。

中国の神話を探したのですが、まとまったエピソードはみつけられなかったので省略します。

南極星?
北極星があるなら南極星はなんだろうと思うことがあると思います。
残念ながら、現在では天の南極付近に明るい星は存在していないので、南極星はないといってもよいでしょう。
歳差運動により、12000後にはりゅうこつ座のカノープスが南極星になるそうです。

南極老人星
次は南極老人星です。これはりゅうこつ座のカノープスのことで、全天で二番目に明るい星です。
この星は一目見ると長生きできると言われています。
何故そのようなことが言われているかというと、カノープスは一応、東京や京都とかでも見えることは見えるのですが、地平線ぎりぎりにしか見えません。山があれば隠れて見えなかったりもします。
中々見ることができなないので、
見えたらラッキー→何か御利益があるのではないだろうか→長生きできる
という発想なのでしょう。
南の空に見える星なので、北斗と南斗の話でもあったように、南は生を主るという考えからもこう言われるようになったのかもしれません。

まぁ沖縄ぐらいまで南にいくと、かなり高いところで見えるのでそこまでありがたみがありませが。
私は一度、熊本と鹿児島の県境あたりで見たことがあります。言い伝えのように長生きできればいいんですけどね~。大阪・神戸あたりの空とは全然違って面白かったです。冬の天の川もきれいに見えましたしね。

南極老人星は、南極仙翁、寿星とも言い、七福神の寿老人や福禄寿であるとされています。

以上、北極星と南極星の紹介でした。まとまったエピソードがみつからなかったために、なんか小難しい話になってしまいましたね。

明代の小説『封神演義』には、老人星は南極仙翁として登場しています。チョイ役ですが、重要な役割をしています。『西遊記』にも登場しているようですが、こちらもチョイ役のはず。興味ある人は読んでみてください。

絡穴について②

前回の続きです。

③経別の連絡口
一合

足太陽の正は、別ちて膕中に入る。
其の一道は、尻を下ること五寸。別ちて肛に入り、膀胱に属し、散じて腎に之き、膂を循り、心に当たりて散に入る。
直なる者は、膂より上りて項に出で、復た太陽に属す。
此れ一経と為すなり。

足少陰の正は、膕中に至り、別ちて太陽に走りて合し、上りて腎に至り、十四椎に至り、出でて帯脈に属す。
直なる者は、舌本に繋り、復た項に出でて太陽に合す。
此れ一合と為す。
或いは諸陰の別を以て、皆な正と為すなり。


二合

足少陽の正は、髀を繞り、毛際に入り、厥陰に合す。
別なる者は、季脇の間に入り、胸裏を循り、胆に属し、散じて肝に之き、上りて心に貫き、以て上りて咽を挟む。頤頷の中に出で、面に散じ、目系に繋る。外眥と少陽に合するなり。

足厥陰の正は、跗上に別れ、上りて毛際に至り、少陽と合し、別と倶に行く。
此れ二合と為すなり。


三合

足陽明の正は、上りて髀に至り、腹裏に入り、胃に属し、散じて脾に之き、上りて心に通じ、上りて咽を循り、口に出で、頞梺に上り、還りて目系に繋り、陽明に合するなり。

足太陰の正は、上りて髀に至り、陽明に合し、別と倶に行き、上りて咽に結し、舌中を貫く。
此れ三合と為すなり。


四合

手太陽の正は、地を指し、肩解に別れ.腋に入り、心に走り、小腸に繋るなり。

手少陰の正は、別ちて淵腋、兩筋の間に入り、心に属し、上りて喉嚨に走り、面ぶ出で、目の内眥に合す.
此れ四合と為すなり。


五合

手少陽の正は、天を指し、巓に別れ、缺盆に入り、下りて三焦に走り、散じて胸中に入るなり。

手心主の正は、別ちて淵腋三寸に下り、胸中に入り、別ちて三焦に属し、出でて喉嚨を循り、耳後に出で、合少陽完骨の下に合す。
此れ五合と為すなり。


六合

手陽明の正は、手より膺乳に循り、肩髃に別れ、柱骨に入り、下りて大腸に走り、肺に属し、上りて喉嚨を循り、缺盆に出で、陽明に合するなり。

手太陰の正は、別ちて淵腋、少陰の前に入り、入りて肺に走り、散じて大腸に之き、上りて缺盆に出で、喉嚨を循り、復た陽明に合す。
此れ六合なり。


以上、経別でした。
経別とは表裏の経絡を結ぶものです。「離」「入」「出」「合」があります。これに関してはあまり理解していないので、西田皓一先生著【図解】経筋学から引用します。

 
表裏関係の組み合わせ
離別部位
(離)
属する経絡臓腑
(入)
出る部位
(出)
合入経脈
(合)
一合
足太陽膀胱経
膝窩
膀胱
足太陽
足少陰腎経
膝窩
腎・帯脈
二合
足少陽胆径
大腿部
胆・肝
足少陽
足厥陰肝経
足背
毛際
三合
足陽明胃経
大腿部
足陽明
足太陰脾経
大腿部
咽頭
四合
手太陽小腸経
小腸
腋下
手太陽
手少陰心経
腋下
目の縁
五合
手少陽三焦経
頭項
三焦
胸中に散る
手少陽
手厥陰心包経
腋下
胸腔
完骨
六合
手陽明大腸経
肩髃
大腸
缺盆
手陽明
手太陰肺経
腋下
咽喉

これから思うに、経別による表裏関係の合流地点はそれぞれの陽経のようです。
絡穴とはあまり関係がないようですが、原文を見る限りでは「別」の具体的な場所が明確ではないものもあるので、もしかしたら絡穴から別れているものもあるかもしれません。

以上、経脈流注、十五絡脈、経別の連絡口をみてきました。
絡穴同士で表裏の経絡を結んでいる、というのは、十五絡穴の解釈しだいでしょう。個人的には具体的な連絡先が書いてない限りは総てがそうではないだろうなぁとは思います。
例えば、内関と外関のように表裏の場所が似たような所であれば、記述がなくともそのままつながっていても変ではないですが、公孫と豊隆のようにかなり離れている部分であれば、どこかで触れられていてもおかしくないはずです。
「絡」の意味合いは、交会穴と同じように、複数の経を同時に治療できるというように考えていた方が無難でしょう。

また、『鍼灸甲乙経』では、現在学校で習う絡穴はもちらん、それら以外の絡穴にも触れられています。
上髎;足太陽、少陽の絡
臑会;手陽明の絡
会陰;任脈の別絡
臂臑;手陽明絡の会
漏谷:足太陰の絡
懸鍾;足三陽の絡
これらにどういう意味合いがあるのかは分かりませんが、それぞれ重要なツボであることは間違いありません。各自考えられて見ると良いかと思われます。

以上、絡穴でした。余裕や要望があれば、他の五要穴についても書いていこうと思います。

絡穴について①

今回は五要穴の絡穴について書こうと思います。
絡穴について最近質問されたので、個人的にもまとめてみようと思いました。

さてさて、絡穴といえば、絡穴同士で表裏の経絡を結んでいる、といわれていますが、それは半分正しく、半分間違いだと思います。
連絡口といっても直接つながっているものもあれば、間接的につながっているものもあります。
今回はそこらへんについて書こうと思います。

①経脈流注の連絡口について
肺経

肺なる手太陰の脈は、中焦より起こりて下りて大腸を絡い、還りて胃口を循、膈を上り、肺に属す。
肺系より横に腋下に出で、下りて臑内を循り、少陰心主の前を行き、肘中に下る。
臂内の上骨の下廉を循り、寸口に入り、魚に上る。魚際を循(めぐ)りて大指の端に出づ。
其の支なる者は、腕後より直に次指の内廉に出で、其の端に出づ。


胃経

胃なる足陽明の脈は、鼻の交頞中に起こり、傍らを太陽の脈に納き、下りて鼻外を循り、上歯の中に循り、還た出でて口を挟み、唇を環り、下りて承漿に交わり入る。
却きて頤の下廉を循り、大迎に出で、頬車を循り、耳前に上り、客主人を過り、髪際を循りて額顱に至る。
其の支別なる者は、大迎の前より、人迎に下り、喉嚨を循り、缺盆に入り、膈に下り、胃に属し、髀を絡う。
其の直行なる者は、缺盆より乳の内廉に下り、下りて臍を挟み、気衝の中に入る。
其の支なる者は、胃の下口に起こり、腹裏を循り、下りて気衝の中に至りて合す。
以て髀関を下り、伏兎に抵り、膝臏の中に下り、下りて䯒の外廉を循り、足跗に下り、中指の外間に入る。
其の支なる者は、廉を下ること三寸にして、別れて以て下り、中指の外間に入る。
其の支なる者は、跗上に別れ、大指の間に入り、其の端に出づ。


心包経

心主なる手厥陰心包絡の脈は、胸中に起こり、出でて心包に属し、膈に下りて三焦を歴絡す。
其の支(えだ)なる者は、胸を循(めぐ)りて脇に出で、腋三寸を下り、上りて腋下に抵り、下りて臑内を循り、、太陰、少陰の間を行りて肘中に入る。臂に下りて両筋の間を行き、掌中に入り、中指を循(めぐ)り、其の端に出づ。
其の支別なる者は、掌の中より小指の次指を循りて其の端に出ず。


胆経

胆なる足少陽の脈は、目の鋭眥に起こり、上りて角に抵り、耳後に下る。
頚を循りて手の少陽の前を行き、肩上に至り、却りて少陽の後に交わり出で、缺盆に入る。
其の支なる者は、耳後より耳中に入り、出でて耳前に走り、目の鋭眥の後に至る。
其の支なる者は、目の鋭眥より別れ、大迎に下り、手の少陽に合し、䪼に抵る。
下りて頬車に加え、頚に下り、缺盆に合し、胸中に下り、膈を貫き、肝を絡い、胆に属す。
脇裏を循り、気衝に出で、毛際を繞り、横に髀厭の中に入る。
其の直なる者は、缺盆より腋に下り、胸を循り、季脇を過ぎり、下りて髀厭の中に合し、以て下りて髀陽を循り、膝の外廉に出づ。外輔骨の前に下り、直ちに下りて絶骨の端に抵り、下りて外踝の前に出で、足跗を循り、上りて小指の次指の間に入る。
其の支なる者は、跗上に別れ、大指の間に入り、大指の岐骨の内を循り、其の端に出で、還りて爪甲に貫き入り、三毛に出づ。


以上四脈は、絡穴付近で支脈がでてる経脈をピックアップしたものです。
赤色は絡穴から、青色は絡穴以外(胃経は足三里、心包経は労宮、胆経は臨泣)から支脈がでてるものです。

これらは、そこから次の経脈に繋がる支が出ているにすぎず、表裏の絡穴に繋がっているわけではないです。

②十五絡脈による連絡口
手太陰の別

手太陰の別は、名づけて列缺と曰う。
腕上の分間より起こり、太陰の経に並び、直に掌中に入り、散じて魚際に入る。

之れを腕を去ること一寸半に取る。別ちて陽明に走るなり。


手陽明の別

手陽明の別は、名づけて偏歴と曰う。
腕を去ること三寸。別ちて太陰に入る。
其の別なる者は、上りて臂を循り、肩髃に乗じ、上りて頬に上りて歯に偏す。
其の別なる者は、耳に入り、宗脈に会す。

之れを分るる所に取るなり。


手少陰の別

手少陰の別は、名づけて通里と曰う。
腕を去ること一寸半。別ちて上行し、経を循りて心中に入り、舌本に繋り、目系に属す。

之れを掌後一寸に取る。別ちて太陽に走るなり。


手太陽の別

手太陽の別は、名づけて支正と曰う。
腕を上ること五寸。内りて少陰に注ぐ。
其の別なる者は、上りて肘に走り、肩髃を絡う。

之れを別るる所に取るなり。


手心主の別

手心主の別は、名づけて内関と曰う。
腕を去ること二寸。両筋の間に出づ。分ちて少陽に走るなり。経を循りて以て上り、心包に繋り、心系に絡う。

之れを両筋の間に取るなり。


手少陽の別

手少陽の別は、名づけて外関と曰う。
腕を去ること二寸。外に臂を遶り、胸中に注ぎ、心主に合す。

之れを分るる所に取るなり。


足太陰の別

足太陰の別は、名づけて公孫と曰う。
本節の後を去ること一寸。別ちて陽明に走る。
其の別なる者は、入りて腸胃を絡う。

之れを分るる所に取るなり。


足陽明の別

足陽明の別は、名づけて豊隆と曰う。
踝を去ること八寸。分ちて太陰に走る。
其の別なる者は、脛骨の外廉を循り、上りて頭項を絡い、諸経の気を合し、下りて喉嗌を絡う.

之れを分るる所に取るなり。


足少陰の別

足少陰の別は、名づけて大鍾と曰う。
踝の後に当りて跟を繞り、別ちて太陽に走る。
其の別なる者は、経に并び、上りて心包に走り、下りて外は腰脊を貫く。

之れを分るる所に取るなり。


足太陽の別

足太陽の別は、名づけて飛陽と曰う。
踝を去ること七寸。別ちて少陰に走る。

之れを分るる所に取るなり。


足厥陰の別

足厥陰の別は、名づけて蠡溝と曰う。
内踝を去ること五寸。別ちて少陽に走る。
其の別なる者は、経を循り、睾に上り、莖に結ぶ。

之れを分るる所に取るなり。


足少陽の別

足少陽の別は、名づけて光明と曰う。
踝を去ること五寸。別ちて厥陰に走る。下りて足跗を絡う。

之れを分るる所に取るなり。


以上、十五絡脈のうち、十二経絡に関係するものをピックアップしたものです。
ここでは経穴というよりも、十二経脈の別絡に関して書かれていると取っていいでしょう。
今回は…で省略しましたが、ここには実虚の症状についても書かれています。
その別絡の治療穴が「分かるる所に取る」であり、それが現在でいう所の絡穴にあたるようです。
そこから表裏の経脈につながっているとしていますが、それがどこに当たるのかは具体的に書かれていていません。これを表裏経の絡穴とするか、そうでないかとするのは意見が分かれそうです。
このイメージが強くて絡穴は表裏の経絡を結んでいるとされているのでしょう。

まだ表裏の経絡を結んでいるとする資料がありますが、長くなりましたので次回にまわしたいと思います。

北斗と南斗

あけましておめでとうございます。というには遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

さて、今回は北斗と南斗について書こうと思います。
北斗と南斗とは、星座のことです。
北斗は現在ではおおぐま座、南斗はいて座に属しますが、古代中国では北斗と南斗は供に星座の名前になっています。南斗は二十八宿の斗宿のことです。
形はそれぞれ

北斗
北斗七星

南斗
南斗六星

となっています。
星座なので星の数と合わせて北斗は北斗七星、南斗は南斗六星とします。
しかし、中国では北斗は七つの星ではなく、九つの星である(北斗九星)とする場合があります。
それは、北斗七星の柄の部分の後ろから二つ目の星(おおぐま座ζ星、ミザール)が二重星だからです。
図にするとこんな感じですね。
ちなみに、この二重星の名前はアルコルといい、某漫画では死兆星として有名な星です。死兆星についてはまたあとで。

北斗九星

そうすると、北斗は八星ではないかといわれそうですが、実際にその通りで、九番目の星は虚星であり、実在しない星を九番目として九星としているようです。これは中国では九の数字を重んじていることからの影響だと思いますが…。

さて、それぞれ名前もついています。諸説ありますが、『仏説北斗七星延命経』によると、
北斗の升の部分から
貪狼(とんろう)
巨門(こもん)
禄存(ろくそん)
文曲(もんごく)
廉貞(れんてい)
武曲(ぶごく)
破軍(はぐん)

そしてミザールは輔星(ほせい)(出典は恐らく『史記』天官書)、虚星は弼星(ひつせい)と呼ばれています。

南斗も升の部分から
天府(てんぷ)
天梁(てんりょう)
天機(てんき)
天同(てんどう)
天相(てんそう)
七殺(しちさつ)
と呼ばれているようです。(wikipediaより。出典は恐らく紫微斗数系の占術書)

五斗とは
北斗や南斗があるなら、西斗や東斗もあるんじゃないの?と一度は思うと思います。実際、中国人もそうだったようで北斗、南斗に西斗、東斗、中斗を合わせて五斗としています。
しかし、西斗、東斗、中斗は概念的なもので実際にはありません。星数も文献によってちがうようですし…。
『封神演義』によれば、
東斗は四星
西斗は五星
中斗は三星
のようです。

紫微斗数占術での役割
占いの中に紫微斗数というものがあるのですが、これはホロスコープみたいなもので、どの星がどの宮にあるかで占っていくものです。詳しくは「紫微斗数」で調べて見ると分かります。
この占いの基本となる星十四個(甲級主星)には、北斗と南斗の星からとられているようです。
すなわち、
貪狼
巨門
禄存
文曲
廉貞
武曲
破軍
天府
天梁
天機
天同
天相
七殺

紫微(しび)
太陽(たいよう)
太陰(たいいん)
この十四星です。

禄存と文曲、そして左輔(輔星)右弼(弼星)はこの主星の次に重要な甲級助星となっています。
これと『封神演義』と結び付けているものもありますが、恐らく関連性はないと思います。

占いで重要な星の名前のほとんどが北斗と南斗から取られているというのも、星の中でもこれ等は特別なものなのでしょうね。

北斗七星の神話
では少し神話をみてみましょう。
世界各地でいろんな神話がありますが、中国で有名なのは、三国志演義第六十九回「卜周易管輅知機 討漢賊五臣死節」の一説でしょう。

ある少年が田を耕していたところ、管輅(かんろ)が声をかけた。
「少年よ、名と年は?」
「姓は趙、名は顏、年は十九歳です。先生はどなたでしょうか?」
「わしは管輅である。おまえの眉の間に死気が見えている。これでは三日の内に必ず死んでしまうだろう。おまえの顔は美しいでな。寿命が尽きてしまうとはもったいない。」
趙顏は家に帰って急いで父に今のことを伝えた。父親はこれを聞いて管輅の元に急ぎ、地に伏して言う。
「どうか私の子供を救ってください!」
「これは天命なのでな。どうして助けなくてはいけないのだ。」
「年老いた私にはこの子しかいません!どうか救っていただけないでしょうか。」
趙顏も泣いて助けを求めた。管輅はその親子に心うたれ、趙顏に言って聞かせる。
「まずは上等な酒と鹿肉を一塊用意するのだ。明日それらを南の山まで持っていくのだ。その山の大樹の下には囲碁を打つものが二人いるはずだ。一人は北向きに座っていて、赤い上衣を着てその顔はとても悪い。一人は南向きに座っていて白い上衣を着てその顔はとても美しい。おまえは二人が囲碁に熱中しているときを狙い、酒や鹿肉が無くなったらどんどん進めるのだ。二人の飮食が終わるのを待ってから泣いて寿命を求めよ。必ずや寿命を増やしてくれるだろう。但しわしが教えたとは言ってはいかん。」
父親は管輅を家に呼んだ。
次の日、趙顔は酒と鹿肉を携えて南の山の中に入っていった。五、六里ほど行くと、果たして大きい松の樹の下で囲碁を打つものがいた。全然顔を上げない。趙顔は跪いて酒と肉を進める。二人は囲碁に熱中していて、不覚にも己のほしいままに飲み食いした。趙顔が地に伏して泣いて寿命を求める。二人は大いに驚いた。赤い上衣を着けた者が言った。
「これは間違いなく管子のしわざだろう。我ら二人は既にほしいままに飲み食いした。このものの願いを聞き入れよう。」
白い上衣を着けたものが帳簿を取り出してみると、
「おまえは今年十九歳で死ぬことになっていた。私は今”十”の字の上に”九”の字を加えた。おまえの寿命は九十九になったのだ。管輅に二度と天機を漏らすことがないように伝えよ。そうしなければ、必ずや天帝の罰があろう。」
赤い者が筆を出して添え終わると、一陣の香りが風に過ぎ、二人は白鶴の姿になって天へ去って行った。
趙顏が帰って管輅に質問して管輅が答える。
「赤いのを着たのが南斗である。白いのを着ていたのが北斗である。」
「私は北斗九星と聞いたことがありますが、どうして一人なのでしょうか?」
「分けては九、合せては一なのじゃ。北斗は死を主り、南斗は生を主る。今、おまえは寿命を延ばしてもらったのだ。なんの憂いがあろう。」
親子は感謝した。このときより管輅は天帝のとがめを恐れて軽々しく人に占いをしなくなったという。

以上、三国志からの意訳でした。
管輅(かんろ)とは、占いの名人であり、その活躍の一エピソードになります。

私が以前この話を聞いた時には、十九の数字をひっくり返して九十にした、とあったので話に若干のバリーエションがあるようですが、北斗の精と南斗の精に命を伸ばしてもらったというのは共通しています。
北斗は死を主り、南斗は生を主る。北枕とかはこのあたりのことからきているんでしょう。
また、「分けては九、合せては一」というのも道教的な考えであり、鍼灸的な考え方です。

死兆星について
さて、某漫画では死兆星がでてきます。死兆星とは、北斗七星の傍らに輝くといわれている星で、この星が見えるとその人の死期が近いというものです。この星は実は輔星(アルコル)のことです。
古代のアラビアではこのアルコルを目の視力検査に使っていました。と、いうのも、このアルコルは目の悪い人には見えにくい星なのです。
つまり・・・老眼でアルコルが見えなくなる=死期が近い→見えなくなると死ぬ
ということであり、某漫画の見えると死ぬとは180度異なりますが、伝承をうまく漫画に取り入れていておもしろいですよね。

さて、今回はこんなところです。次回は北極星と南極老人星について書こうと思います。

外関(陽維脈)の主治

奇経の主治の続きをしていきたいと思います。
今回は外関(陽維脈)の主治です。

外関二穴、主治の二十七證。
(1)肢節腫痛:腎
(2)臂膊冷痛:三焦
(3)鼻衄:肺
(4)手足發熱:三焦
(5)手指節痛不能屈:三焦
(6)眉稜中痛:膀胱
(7)手足疼痛:胃
(8)産後惡風:腎、胃
(9)傷寒自汗:胃、肺
(10)頭風:膀胱
(11)四肢不遂:膽、胃
(12)筋骨疼痛:肝、腎
(13)迎風涙出:肝
(14)赤目疼痛:肝、心
(15)腰背腫痛:腎
(16)手足麻疼并無力:胃
(17)眼腫:心
(18)頭風掉眩痛:膀胱
(19)傷寒表熱:膀胱
(20)破傷風:胃、肝
(21)手臂痛:大腸、三焦
(22)頭項痛:小腸
(23)盜汗:心主
(24)目翳或隱澀:肝
(25)産後身腫:胃、腎
(26)腰胯痛:腎
(27)雷頭風:膽

右の件の病、外関が悉(ことごと)く之れを主る。先に外関を取り、後に臨泣を取る。


以上です。
正経の病で整理すると、
大腸
小腸
膀胱
包絡
三焦
2
1
6
0
2
1
4
7
1
4
2
5
35
と、なります。

臨泣(帯脈)の主治

今回は奇経の主治の続きをしていきたいと思います。
今回は臨泣(帯脈)の主治です。


臨泣二穴、主治の二十五證。
(1)足趺腫痛:胃
(2)手足麻:小腸、三焦
(3)手指戦掉:肝、心主
(4)赤眼并冷涙:膀胱
(5)咽喉腫痛:三焦
(6)手足攣急:肝、腎
(7)脇肋痛:胆
(8)牙歯痛:胃、大腸
(9)手足発熱:胃、心主
(10)解利傷寒:膀胱
(11)腿胯痛:胆
(12)脚膝腫痛:胃、肝
(13)四肢不遂:胆
(14)頭風腫:膀胱
(15)頭項腫:膀胱
(16)浮風掻痒:肺
(17)身體腫:腎、胃
(18)身體麻:肝、脾
(19)頭目眩暈:膀胱
(20)筋攣骨痛:肝、胃
(21)頬腮痛:大腸
(22)雷頭風:胆
(23)眼目腫痛:肝、心
(24)中風手足不挙:腎
(25)耳聾:腎、胆

右の件の病、臨泣が悉(ことごと)く之れを主る。先に臨泣を取り、後に外関を取る。



以上です。
正経の病で整理すると、
大腸
小腸
膀胱
包絡
三焦
1
2
6
1
1
1
5
4
2
2
5
6
36

と、なります。
広範囲に効くようですが、特に、胃、膀胱、腎、肝、胆に効くようです。帯脈は全経脈と交会していることから、広範囲に効くのでしょう。
帯脈は、八脈交会穴も胆経にあり、また、流注も胆径にあることから、肝胆の病に効きやすいようです。

今回はこんなとこです。

中国五術について

こんばんは。
今回はこないださらっとだした中国五術についてです。

中国五術とは、佐藤六龍氏によると、

本来、中国では占いは運命学として人生をより良く生きていくための方術として体系化されたものです。
その方術とは、「命」(人の宿命を占う)、「卜」(人が遭遇する事件を占う)、「相」(土地、家、墓、印鑑など形あるものを占う)、「医」(病気を治す術)、「山」(精神と肉体の鍛錬)の五つを指し、これらを総称して五術ともいいます。

(佐藤六龍著「占い」は信じるな! P26)
であるとしています。
これをみてみると、「占術」と「健康」に大きく分けることができそうです。

占術:命(めい)、卜(ぼく)、相(そう)
健康:医(い)、山(さん)

これらは、一見関係のないようにみえて、実はそれぞれに関連があります。
大きな共通点として、陰陽論、五行論から成り立っている、というところにあるでしょう。

それぞれを少し細かくみると、
占術
「命」は、生まれた生年月日時から、その人の過去、現在、未来を占う(四柱推命、紫微斗数など)
「卜」は、知りたい事項に関して、現在ただ今の状態からそれに関連する未来の状態を占う(易など)
「相」は、その人がもつ、形あるものから現在、未来を占う(手相、姓名判断など)
ことであり、それぞれ範囲が異なっています。この三つをうまく組み合わせることによって、より占いの精度をあげていくようです。

健康
「医」は、人を健康にすること。
「山」は、自身を健康にすること。
であり、この中で、鍼灸師が担うのはもちろん「医」ですが、これには術者の「山」による修行もかかせないことになります。「山」には、気功や太極拳、武道などが含まれます。

また、「医」には、「はり」、「きゅう」だけでなく「推拿」「湯液」「導引」も含まれると思います。
現在の日本では、医師以外では、はり師、きゅう師、あんまマッサージ指圧師、薬剤師、登録販売者の資格を持った人がその範疇に入るということになります。

では健康と占術は関係あるのか?となりそうですが、私は関係あり!と言いたいです。
何故かというと、占いも陰陽、五行からできており、そのバランスを見ることで運命をみています。
つまり、占いでいう所の健康運や社会運、バイオリズムといったものをみることで、その人がどこか病みやすいか、どの時期に調子が悪くなるかが分かることになります。それを見越して施術したり、養生してもらったりすることで、病気を取り除いたり、予防することができるからです。

といっても、私も占いはまだまだよくわかっていないので、そこまで応用することはできませんが、簡単なみかたからおざっぱな判断はできます。
占いから鍼灸をみてもおもしろいかもしれませんよ。

『三才図会』と『和漢三才図会』の経絡部について

最近、ちょっといろいろ書いてます、kouitsuです。

今回は、『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』について。
これは江戸時代の寺島良安(てらしまりょうあん)が、明の王圻(おうき)の『三才図会(さんさいずえ)』を基に作った百科事典のことです。

百科事典ということで、いろんな分野のことが載っています。
経絡、身体の部位、漢方の生薬、天文、占術、地名などなどです。
(個人的には、経絡部以外にも、天文部や暦占類には世話になっています。)

奇経について調べていると、ちょくちょくこの『和漢三才図会』からの文の引用が見られることがあります。
だったら基となった『三才図会』での記述はどうなっているのかと思い、調べてみると、奇経については『三才図会』ではほとんど触れられてないことが分かりました。
だから『三才図会』からの引用が多かったのですね。

そこで、これらの資料がどのように違うのかを軽く比較してみることにしました。
深くそれぞれ(特に『三才図会』)を見たわけではないので間違っている部分はあるかもしれませんが、それでも両者でいろいろと違いがあることが分かりました。

『和漢三才図会』では、『三才図会』で簡単に示されていた経穴の部位を詳しく書いており、また、『三才図会』では触れられていなかった奇経や薬味の帰経が触れられています。

『三才図会』にしかない特色もあります。
ふんだんに絵や歌が載ってることです。
一番の特色は脈診のことについてでしょうか。
『和漢三才図会』では『素問』の三部九候脈診しか書かれていません(しかも診方のみ)が、『三才図会』では、張世賢の『図註王叔和脈訣』から引いたと思われる脈診の記述がふんだんにあります。

これから考えると、寺島良安は経絡については『三才図会』で書かれていたものは極力避けて百科事典の最低限の記述を書き、かつ足りないと思われるものを付け足したのではないでしょうか。
両者を読むことによって、深く鍼灸をしることができるかもしれません。

菽法脈診

今回は、脈診の中の菽法(しゅくほう)脈診をご紹介します。

元々は『難経』の五難からでた脈診です。
その内容は『難経本義諺解』の五難にゆずるとして、ここではその概要だけ示そうと思います。

まず、菽法の「菽」とは、豆の重さのことです。
豆の重さ何個分で按(お)した場合、そこに対応する五藏の脈がなければ、その藏に異常があるということです。
その重さとは、

肺:三菽
心:六菽
脾:九菽
肝:十二菽
腎:十五菽

となっています。三の倍数になっていますね。個人的にはこの”三”の倍数で示されているのは、二難にもつながるからだと考えています。

さて、豆といっても小豆もあれば大豆もあります。いったいどの豆の重さで見れば良いのかと思われる人もいるかもしれませんが、資料によって様々なのであまりそこにはこだわる必要性はありません。

要は、五藏と深さの対応を見ている、ということです。文字に起こした場合、深さを具体的に示していた方が分かりやすいからこのようにしているのでしょう。
実際は、皮毛の部分(肺)と骨まで沈めて少し浮かす(腎)を基準として五等分すれば良いということです。
図にするとこんな感じです。
菽法脈診その1

六部定位と結び付けたければ、もっと簡略にした三等分でも良いと思います。
三等分の場合、浮中沈でみているのと同じになりますしね。

三等分を五等分にも変換できます。
浮脈と沈脈をそれぞれ二等分すればほぼ一致します。
図にするとこんな感じですね。
菽法脈診その2

恐らく季節の正脈も、この範囲におさまってくると思います。

この菽法が分かるようになれば、単に浮いている、沈んでいるだけでなく、もっと幅広くみることができます。
例えば、肺は三菽で浮いてしかるべきなのに沈みがちである、とか、腎は沈んでいなくてはいけないのに浮きぎみであるとか。その場合、脈状から考えると両方とも虚である、ということになります。
菽法をどのように使うかは人によります。
寸関尺それぞれで菽法を使うのも良いですし、六部定位の配当によって菽法を使うのも良いです。
他の難と組み合わせることによって、五藏六府のどこに邪があるのかを判断することもできます。

いろいろと応用が効く脈法だと思うので、興味をもたれた方は各自工夫されると良いと思います。
プロフィール

kouitsu

Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

はじめてこのブログへこられた方はこちらをお読みください。

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