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『黄帝内経』について

それでは、古典の中でも特に重要な『黄帝内経(こうていだいけい)』について書いていこうと思います。

『黄帝内経』は2つの書から成り立っています。
1つは『素問(そもん)』、もうひとつは『霊枢(れいすう)』です。

『素問』は身体の生理的な働きが主として書かれているといわれますが、脈の診方、鍼の打ち方などもきちんとのっています。
『霊枢』は鍼の種類や打ち方、経絡の流注、脈の診方、病気に対してどこに鍼をすれば良いかなど、『霊枢』よりもより実践的な内容になっています。

この両書はそれぞれ一人のひとが書いたのではなく、複数の人がいろんな時代に書いたものを集めた物です。
古いものでは秦以前、新しいものでは六朝時代のものもあるみたいです。
『素問』を読んでいると矛盾みたいなものもあるんですが、それはこのようなバックグランドがあるから、ということを覚えておいてください。

さて、『素問』と『霊枢』はともに八十一篇あります。後に紹介する『難経(なんぎょう)』も八十一篇あります。
どうして八十一篇なのかといえば、当然この八十一という数字には意味があるからなんです。

掛け算において八十一になるものといえば、なんでしょうか。九×九ですよね。
中国でこの九という数字は特別な意味がありました。九は「極まる」という意味です。
ここから、医術を極めると言う意味が込められているんではないでしょうか。

極まった九をさらに九で掛けるのは、おそらく陰陽の交流。
九は奇数で陽、二は偶数で陰となるからです。
医術をよりいっそう極めるという意味も込められている気がします。


また、『素問』と『霊枢』の特徴としていえるのが「問答体」と呼ばれる論の展開の仕方。
現代のQ&A形式に似ているものです。
ある一人の人(主に黄帝)が疑問に思ったことをお師匠さん(主に岐伯)に尋ねて答えていってもらう。
さらに疑問があればさらに質問して答えてもらう。この質疑を繰り返しているのが『素問』と『霊枢』の内容なのです。


『素問』と『霊枢』は医学の経典とも言うべき存在ですが、実はそれぞれ途絶えてしまった時期があります。
『素問』に関しては、現代に残っている本は唐の王冰(おうひょう)が素問の『原文』に注釈つけいていったものを更に校正したものです
唐の王冰の時代において既に『素問』は一部が欠けてしまっている状態でした。
その欠けた部分を方々から集めてどうにか出したのが今の『素問』の源流です。
北宋時代には鍼灸が盛んになり、宋の政府もいろんな本の校正にあたるようになりました。
そのうちの一つが『素問』で、王冰の書いたものを中心としてなんとか残っていた他の本(「全元起本」『太素』)によって校正されたものが『重広補註黄帝内経素問』で、これが現在伝わっている一番古い本となります。

『霊枢』にいたっては、かなり早い段階で亡くなってしまったみたいです。
北宋の校正本のなかにもはいっていなかったようですし。
現在伝わっているものは、南宋の史(しすう)の家に残っていたものの流れを組むもののようです。

『黄帝内経』についてはこれぐらいですかね。
やはりいろんなことが書かれているので、『素問』と『霊枢』は一通りは読んでおいたほうが良いですよ。
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『十一脈灸経』について

今回は、『十一脈灸経』について書いていこうと思います。
この本は僕は持っていないのですが(そもそも出版されているのか微妙なことです)、かなり重要な書なので概要だけでも書いておこうと思いました。

さて、『十一脈灸経(じゅういちみゃくきゅうょう)』というのは、現在見つかっている最古の経脈の書です。
正確には、『足臂十一脈灸経(そくひじゅうちみゃくきゅうきょう)』『陰陽十一脈灸経(いんようじゅういちみゃくきゅうよう)』の2書です。
これらは、「馬王堆(まおうたい)」と呼ばれる遺跡から発見されました。
見つかった時に書の名前は書かれていなかったそうで、中国の研究グループが内容を整理した時にこれらの名前がついたみたいです。
『陰陽十一脈灸経』は2種類見つかっていて、甲本と乙本の区別がありますが、『足臂十一脈灸経』は1種類のみです。

さて、これらの書の特徴といえば、まず『霊枢』経脈篇よりも古い記述であることです。
名前の「十一脈」から分かる通り、十一本の経脈しかありません。
現在では十二本であるのに、当時は十一本だったようです。
一本足りない為にどの経脈が無かったのかが疑問に思う所ですが、この問題についてはいろんな意見がある為に割愛します。どれが正しい意見なのか分からないですから。
ただ、定説では心包経が無かったとされています。

そして『陰陽十一脈灸経』では耳脈、肩脈、歯脈と呼ばれる経脈があり、とても興味のわくものとなっています。
耳脈、肩脈、歯脈はそれぞれ、三焦経、小腸経、大腸経に相当します。
こららがどうして三焦経、小腸経、大腸経に包括されていったのか。
そういうのを考えると結構おもしろいですよ。

僕はここからいろいろ聞いたり考えたりして下合穴が存在する意味が分かった気がします。
僕が至った結論に関して考えてみてください。

おそらく、『十一脈灸経』から分かる事はたくさんあると思うので、これは読んでおいたほうが良いですよ。

『難経』について

今回は『難経(なんぎょう)』です。

『難経』は秦越人(しんえつじん)が書いたものとされています。
秦越人は扁鵲(へんじゃく)とも呼ばれ、扁鵲は『史記』扁鵲倉公列伝(しき へんじゃく そうこう れつでん)に人ととなりが書かれています。
そこには、長桑君(ちょうそうくん)という人から医術を学び、長桑君の秘術でもって透視能力を身につけ、五蔵のしこりもわかるようになり、人から聞かれれば脈を診て全てわかるというようにしておいたと書かれています。
他にも六つの不治について言及したとされています。
六つの不治とは、
一の不治 驕恣(きょうし)して理を論ぜず
二の不治 身を輕んじて財を重きにす
三の不治 衣食の適すること能ず
四の不治 陰陽並びて藏氣定まらず
五の不治 形羸(つか)れて服藥すること能ず
六の不治 巫を信じて醫を信じず
のことで、これら六つの内ひとつでも行っていると病気が治りにくいとされています。

さて、『難経』は『素問』と『霊枢』のなかから解釈がむつかしいものを八十一種選んで解説しているものです。
『難経』も『黄帝内経』と同様に問答体によって書かれていますが、質問者と解説者は誰なのかなかは具体的には書かれていません。『難経』は別名『黄帝八十一難経』というので、『素問』と『霊枢』の大部分と同様に黄帝と岐伯の問答なのでしょう。

『難経集註(なんぎょうしっちゅう)』という『難経』の解説書の一つには八十一篇を分類し、次のような項目を作っています。

第一  經脈診候 凡て二十四首 (   一難から二十四難)
第二  經絡大數 凡て二首    (二十五難から二十六難)
第三  奇経八脈 凡て三首    (二十七難から二十九難)
第四  榮衞三焦 凡て二首    (  三十難から三十一難)
第五  藏府配象 凡て六首    (三十二難から三十七難)
第六  藏府度數 凡て十首    (三十八難から四十七難)
第七  虚實正邪 凡て五首    (四十八難から五十二難)
第八  藏府傳病 凡て二首    (五十三難から五十四難)
第九  藏府積聚 凡て二首    (五十五難から五十六難)
第十  五泄傷寒 凡て四首    (五十七難から六十難)
第十一 神聖工巧 凡て一首    (六十一難)
第十二 藏府井兪 凡て七首    (六十二難から六十八難)
第十三 用鍼補寫 凡て十三首  (六十九難から八十一難)

日本では『難経』の理論を用いて治療されている方がおおいです。
特に六十九難と七十五難は日本の経絡治療における中心の理論となっていますから。
他にも一難と二難には寸口・関上・尺中について書かれていたり、五難には菽法について書かれていたりするので、『難経』も一通りは読んでおいたほうが良いです。

『鍼灸甲乙経』

今回は『鍼灸甲乙経(しんきゅうこういつきょう)』です。

これに関しては以前も書きましたが、もう一度簡単に書いていきたいと思います。
『鍼灸甲乙経』は晋の皇甫 謐(こうほ ひつ)によって書かれたとされ、『素問』、『霊枢』、『明堂孔穴針灸治要(めいどうこうけつしんきゅうちよう)』という三書を、理解しやすいようにそれぞれから同じ内容の部分を切り貼りして書かれています。

ここで『明堂孔穴針灸治要』という書が出てきましたが、この書は簡単に言うと古代の経穴辞典です。現在では残念ながら亡んでしまっているので、『鍼灸甲乙経』は『黄帝内経明堂』の復元するのに有益な資料のひとつになっています。

さて、『鍼灸甲乙経』は十二巻本が伝わっていて、巻毎に特徴があります。
巻ノ一 東洋医学的な生理学
巻ノ二 経脈・経別・経筋の流注と病証、奇経八脈、標本、根結、骨度、脈度
巻ノ三 経穴
巻ノ四 人迎寸口脈診、脈状、病の脈、三部九候脈診
巻ノ五 禁忌、九鍼、九変、十二節、五刺、五邪、びょう刺、鍼道
巻ノ六から巻ノ十二 病のなり方と配穴

という感じです。巻ノ二の奇経八脈に関しては一部『難経』からの抜粋があります。
巻ノ六以降は病について書かれています。
ここからは症状に応じて配穴が書かれている場合もあります。

この構成を見て分かる通り、巻ノ一で生理学、巻ノ二で経絡、巻ノ三で経穴、巻ノ四で脈診、巻ノ五で鍼の刺し方と心構え、巻ノ六以降は病気と臨床についてなので、鍼を刺す前に重要な事項から学んでいけるという教科書的な構成になっています。

そして巻ノ三での経穴に関しては、現在では亡んでいる『黄帝内経明堂』からの抜粋になります。
中国では宋以前と以後では鍼灸のやり方がかなり違っていて、宋以後の経穴に関しては『銅人兪穴鍼灸図経』からの引用が主となっているので、古代の経穴の解釈と宋以後の経穴の解釈が違っているものもあると思います。
そういう意味でも『鍼灸甲乙経』を読むことは重要だと思います。

『脈経』について

今回は『脈経(みゃくきょう)』についてです。

『脈経』は晋の王叔和(おう しゅくか)によって書かれたものです。
その内容は、『霊枢』や『素問』、『難経』、『傷寒論』等の記述によって当時知られていた脈法をまとめたものです。

『脈経』のなかでは奇経八脈についてもふれられていて、明の李時珍(りじちん)が『奇経八脈考(きけいはちみゃくこう)』の中で紹介している「気口九道脈診」はこの『脈経』の巻十に載っている手検図二十一部から引用しているものです。

また、脈だけでなく望診や聞診について言及している部分もあり、たんに脈をまとめただけの書でなないことが分かります。ですので、脈を中心としての診断法をまとめたものなのだろうと思います。

『脈経』についてはあまり読めていないのでこれぐらいで終わります。

『諸病源候論』について

今回は『諸病源候論(しょびょうげんこうろん)』についてです。

『諸病源候論』は隋の元方(そうげんほう)によって書かれたもので、全三十巻です。

内容はその名の通り、様々な病の原因、症状、場合によっては脈状について書かれています。
例えば、巻之五には「腰背病諸論(ようはいしょびょうろん)」からはじまり、腰痛や腰背痛について九篇載っています。

これにより、同じ腰痛でも原因はさまざまであることが分かります。
ただ、治療の仕方までは載っていない感じです。ですが条文にヒントがあるのである程度類推することはできます。
例えば、
「腰背病諸論」の久腰痛候(くようつうこう)には、
夫れ腰痛、皆腎氣の傷られるゆえに為す所なり。
腎の風邪を受ければ、風邪の腎經に停まりて積もり、血氣と相(う)つこと久しけれども散らず。
故に久しく腰痛む。

久腰痛とは、慢性的な腰痛のことです。
この条文を意訳すると、
慢性腰痛では既に腎が虚してしまっているので、もしその状態で風邪に侵されれば、腎経ではその邪を散らすことができない。
その為、腎の経脈上に風邪が止まってしまい、血気が風邪を取り除こうとしても取り除けなくなってしまっている。
だから久しく腰が痛むのだ。
と解釈できると思います。

これより、慢性的な腰痛に対しては、風邪を身体に入れないようにさせることと腎気を補うことを先ず第一にしなければならないと考えることができます。
そこで経穴としては、風市穴、風門穴、太渓穴、志室穴等が考えられると思います。


このように様々な病の原因についていろいろ書かれているので、その対処についてもどうしたらよいか考えることができるようになっています。
おそらく湯液にも応用がきくのではないかとも思われます。

『諸病源候論』についてはこれぐらいですかね。

『黄帝内経太素』について

今回は『黄帝内経太素(こうていだいけいたいそ)』です。

『黄帝内経太素』は唐の楊上善(ようじょうぜん)によって書かれました。
内容は、『素問』と『霊枢』の記述をまとめたもので、『鍼灸甲乙経』や『類経』と性格を同じくするものです。

現代では京都の仁和寺(にんなじ)に残っているもの(「仁和寺本」と呼ばれています)しか存在していません。
しかも欠巻が何冊かあるので、完本ではありません。かろうじて残っている巻でも虫食いによって、あまり読めない部分も存在しています。

仁和寺本の『太素』の特徴は、現在伝わっている『素問』と『霊枢』とは違い、現在では途絶えてしまった古いものを参考にして書かれているということです。
『黄帝内経』のときにも書きましたが、現代に伝わっている『素問』と『霊枢』は宋以後に編纂されたものです。宋代の校正の加減で本来の記述と違ってしまっているところもあります。
その為、本来の記述を復元する為には非常に役に立つものなのですが、先ほども書いたように完本ではない為に読む側からすればかなり難易度の高いものとなってしまっています。
ですが、仁和寺本があったおかげで現行の『素問』、『霊枢』の誤りが分かった例もあるようなので、『素問』と『霊枢』を研究したい人は必ず読んでおくべきものです。

『千金方』について

今回は、『千金方(せんきんほう)』です。

『千金方』は唐の孫思邈(そんしばく)によって書かれたものです。
孫思邈は孫真人(そんしんじん)とも呼ばれ、人々から大変敬られていました。

さて、『千金方』は『千金要方(せんきんようほう)』(全三十巻)と『千金翼方(せんきんよくほう)』(全三十巻)の2種があります。
内容は大部分が漢方の処方で、最後の方に脈診と鍼灸のことが書かれています。
『千金要方』では、二十九巻と三十巻、千金翼方では二十六巻、二十七巻、二十八巻に鍼灸について書かれています。

『千金要方』が書かれたのが 652年 655- 658年の間と考えられ、10/11/9訂正 『千金翼方』が書かれたのが682年です。この差30年。
つまり『千金翼方』とは、『千金要方』を書いた後、孫思邈が30年の臨床の間に補完すべきことを書かいた書となっています。
『千金翼方』だけを読むのではなく、『千金要方』も読むことでさらに理解が増す、ということが言えると思います。


さて、唐代は古代鍼灸の流れが最高潮に達した時代で、これ以後は衰退してしまいました。
『黄帝内経太素(こうていだいけいたいそ)』と『黄帝内経明堂(こうていだいけいめいどう)』を書いた楊上善(ようじょうぜん)、現伝の『素問』のルーツを書いた王冰(おうひょう)、『外台秘要(げだいひよう)』を書いた王(おうとう)そして今回の『千金要方(せんきんようほう)』と『千金翼方(せんきんよくほう)』を書いた孫思邈(そんしばく)。
すべて唐代の人物であり、かなり重要な書を残してくれています。

その為、唐代の書を読むことは古代の鍼灸を知る事になると思います。
特に『千金方』は、以前記事を書いたように、陰経の源穴と兪穴は別になっています。

現代とは違う言葉の使い方や配当は他にもいろいろあるかもしれません。
そういう意味合いでも『千金方』はかなり重要な書であるといえると思います。

『銅人兪穴鍼灸図経』について

今回は、『銅人兪穴鍼灸図経(どうにんしゅけつしんきゅうずけい)』です。

『銅人兪穴鍼灸図経』は勅によって北宋の王惟一(おういいつ)によって書かれた経穴辞典ともいえる書です。

宋の初期に何故そのようなことが国で行われたかというと、鍼灸は唐の終わりごとから衰退し始め、北宋が天下を取った頃には医家によって経穴の位置がバラバラであるというほど混乱をきたしていました。
そこで北宋政府は「太医署」という機関をつくり、乱れた鍼灸書を手直しさせるということを行いました。
これがいわゆる「宋改」です。

北宋政府は「太医署」に医家によってバラバラである経穴の位置を統一させる為に標準の辞典を作らせました。
それが『銅人兪穴鍼灸図経』というわけです。

その為、現在の経穴の流れは『銅人兪穴鍼灸図経』によるものとなり、日本で良く読まれている『十四経発揮(じゅうしけいはっき)』も『銅人兪穴鍼灸図経』に由来しています。

古代の経穴辞典が『明堂孔穴針灸治要(めいどうこうけつしんきゅうちよう)』ならば、宋以降の経穴辞典が『銅人兪穴鍼灸図経』というわけです。

新しいから『銅人兪穴鍼灸図経』が良いというわけでなく、古代の『明堂孔穴針灸治要』も重要となります。
『明堂孔穴針灸治要』は残念ながら亡失しているので、その内容が収められている『鍼灸甲乙経』や『医心方』等と内容と比較することによって、新しい何かが見えてくるかもしれません。

『黄帝明堂灸経』について

今回は『黄帝明堂灸経(こうていめいどうきゅうきょう)』です。

『黄帝明堂灸経』は元の竇桂芳(とうけいほう)によってかかれました。
この『黄帝明堂灸経』は、『灸膏盲腧穴法(きゅうこうこうしゅけつほう)』『子午流注針経(しごるちゅうしんぎょう)』『針経指南(しんぎょうしなん)』と共に『針灸四書(しんきゅうししょ)』に納められているようです。
僕はまだ『灸膏盲腧穴法』と『子午流注針経』はみたことがありませんが…。

タイトルのように、灸に関することが書かれており、針については触れられていません。
取穴と主治が書かれており、正経のみならず経外奇穴にも触れられています。

三篇に分かれており、第三編には小児の灸について触れられています。

小児の灸は他の書にはほとんどみられないので、小児で鍼灸をしようと考えられている方は読んでおいたほうが良いです。

『鍼經指南』について

今回は『鍼經指南(しんぎょうしなん)』です。

『鍼經指南』は元の竇桂芳(とうけいほう)によって書かれた『針灸四書(しんきゅうししょ)』のひとつです。

内容は、「標幽賦(ひょうゆうふ)」や、「通玄指要賦(つうげんしようふ)」といった、針の運用の仕方に関する重要なものや、奇経治療における「八脈交会穴」を初めて載せたもの(『鍼經指南』では「流注八穴(るちゅうはちけつ)」)であり、かなり重要なものになっています。

「標幽賦」や、「通玄指要賦」は『鍼灸大成』等、様々なものに引かれているほど重要なものです。
「流注八穴」では、各奇経の主治も書かれており、奇経治療における重要な資料にもなっています。

一度は目を通しておいたほうがいいものだと思います。

『瀕湖脈学』について

『瀕湖脈学(ひんこみゃくがく)』とは、明の李時珍によって書かれたものです。

内容は二部構成になっていて、二十七の脈状についてそれぞれ解説したものと、四言の訣によって脈状の概要・種類・診方・主病、婦人・小児の脈、奇経八脈の脈の診方等が書かれています。

特に四言の訣はよくまとめられています。この中には、同じく李時珍によって書かれた『奇經八脉攷(きけいはちみゃくこう)』の内容にも触れられています。

この書物は、『中医脉学と瀕湖脉学』(川合重孝・川井正久編著 たにぐち書店)で翻訳されているので、脈診に興味のある方は読んでみたください。
プロフィール

kouitsu

Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

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