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鍼道秘訣集 序

日本の古典を、というリクエストがあったので、鍼道秘訣集を紹介して行きたいと思います。
原文からカタカナ表記をひらがな、歴史的仮名遣いを現代の仮名遣いになおし、適当なところで句読点を打っていきます。

まずは序から。


當流(とうりゅう)撃鍼(うちはり)の元(はじめ)は、夢分翁、初め禅僧たりし時、悲母(ひぼ)極めて病者なりしかば、夢分之を歎き、母孝行の為、時の名人たりし醫師に逢いて捻鍼(ひねりはり)を習い得て、朝夕母を療治し、病を痊(いや)さんとすれども、重病にや験(しるし)も無し。

茲(ここ)に於(お)いて夢分翁、工夫を費やし、案を廻(めぐら)して、此の撃針を以て立るに、手に應じて験(しるし)を取のみかば、他人の病を痊事(いやすこと)十に九を全(まっとう)す。

之に因って、人の病苦を救うは薬師如来の慈悲の道理と念(おも)い、遠近、貴賤、貧福を撰ず、救うを以て専としたまふ。

故に其の名程無(ほどなく)四方に秀(ひい)づ。是れを意齋法橋(いさいほっきょう)聞き傳(つた)え、奇異の念(おも)いをなし、千里の道を遠とせずして、夢分の宅(いえ)に尋ね行き、師弟の約を堅とうし、歳を積み、重て奥義を授かり、終(つい)に其の名を高うす。

之に依って弟子數多(あまた)有りといへども、奥田意伯其の傳を得、月を重て洛陽に住して名を都鄙(とひ)に廣(ひろ)む。
相繼(あいつき)て、宗子九郎左衛門の尉尊直(たかなお)、父に越て針術に妙を現す事勝(あけ)て計え難し。其の嫡意伯同く相繼(あいつき)て、洛陽にして億萬人の病を救う。是即ち夢分翁より傳へ来る處の鍼法此の如し。

然るに、當流は十二經、十五絡脉、任督兩脉を考え針せず、根本の五臟六腑に心眼を付枝葉に構えず、針は心なりと和訓して、心を以て心に傳え、教外(きょうげ)、別傳(げべつ)、不立(ふりつ)、文字と號(ごう)するが故に、他流の如き遠理の廻遠(まわりとお)なる療治本更に之無し。

心の裏(うち)に奥義を納め、唯一心の持様を大事とするなり。此専一の處を護(まも)る事成難きがゆえに、管針(くだはり)、指針(しんし)など、名を替え、品を變て人の心を蕩(とらか)す。

譬(たとえ)ば、手書人尊圓流の御家の筆法成り難きゆえに、色色と書き替え、紛(まぎら)かすが如し。是の故に、多く過(あやま)ち有りて、十に九非業の死をする人數多(あまた)なり。誠に悲む可し、憐(あわれむ)べしと念(おもい)を心に止み難きに因って、萬人の死をも救い、千万の鍼醫の危(あやう)き事を成ず、上手號を取らしめんが為、秘中の秘事を書きあらわして、世寶(せほう)とするものなり。少も疑いを生ずること勿れ。


序文ということで、撃鍼がどういうものかという説明になっていますね。
序文の言いたいことを纏めてみます。
撃鍼(うちはり)というのは、今の打鍼のことです。

夢分翁が自分の母親を治すためにこの撃鍼を考案し、夢分翁が遠近、貴賤、貧福関係なしに人を治療していったので、日本中に名声が伝わるようになった。その名を聞いた御園意斎が夢分に弟子入りし、彼自身や他の人も名を馳せるようになった。
この鍼は五藏六府にしか注目せず、心持ちを大切にして治療することが何より大切である。しかし、うまく実践することが難しく、適当に治を施した医がいたために、ついには死人を出してしまった。そこで撃鍼の奥義をこの書に書き記したので、ここに書かれていることを少しも疑わずに実践を積めば、人を治すようになるであろう。

というのがここでの要約です。
夢分流というのは心持を大切にします。それは後の章(心持の大事、三つの清浄[すまし])でくわしく書かれています。それは治療家にとって本当に大切なことだと思います。金儲け主義に走らないことを戒めてもいます。
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鍼道秘訣集 ①當流他流之異

さて、『鍼道秘訣集』の第一章 當流他流之異(かわり)です。

他流の針を誹謗(そしる)にはあらず。我も元(もと)他針を習う事、九流なり。他流にては病者に煩(わづら)いの様子を聞き、療治をなせども、多くは病人に草臥(くたぶれ)来たり易し。

當流の宗とする處(ところは)は、病人に病証を問う迄(まで)も無く、腹を観、兎角(とかく)の病證を此方より委(くわし)く斷(ことわ)るしかのみならず、百日針すれども、漸漸(ぜんぜん)に験(しるし)はあれども、他流の如く草臥(くたびれ)の来る事無し。

是、當流の名譽なり。世俗の諺に品玉も種無れば成難しと云うが如く、藏府の居處に依って、病證變(かわ)る。厥(その)異(かわ)る處を以て、病証をも知り、還(また)、生死の善悪を明かにす。

當流の一一(いちいち)妙を現す格を左に顯(わらわ)す。心眼を付け、観るべきこと専(もっぱら)なり。

これを纏めると、

他流の鍼を中傷するわけではない。御園意斎も他流の鍼もならっていたが、他流は患者さんに問診して治療するが、多くはその間に疲れささせやすい。
当流の宗とするのは、患者さんに問診をせずに、腹診のみをし、そこから診断・治療していく。百日鍼をして効果はあっても、他流のように疲れさすことはない。
これほ当流の名誉なことだ。臓腑の変動によって病証を知り、病証を知ることによって、生死の判断を明らかにすることができる。
当流で効果のあることをこれから表していく。心眼をつけて理解していきなさい。

ということでしょう。
問診をすることで患者さんを疲れさせるのは本末転倒なことで、それだけで効果が落ちるということでしょうか。患者さんのお腹を診るだけでその人の状態ができる為、問診はいらず、疲れにくい。患者さんに優しい鍼術ということなんでしょうね。

鍼道秘訣集 ②當流臓腑の辨 その1

『鍼道秘訣集』の第2章 當流臓腑の辨(べん)です。
少々長いので、二分割します。

 鳩尾、俗に水落と云う。是を心臓と號(ごう)す。少陰、君火とて、毎年三、四月の暖かなる火、是なり。
此心に邪氣ある時は眩暈し、舌の煩い頭痛し、夜寢(ねむ)る事を得ず。又は眠る中に驚き、又は胸悸(むなさわ)ぎし、心痛み等の病を生ず。
 鳩尾の両傍らを脾の募と號し、脾の臓の病を是知る。
この號に邪氣有る日(とき)は、手足唇の煩い、両の肩痛み等あり。
 肺先(はいさき)は脾の募の両傍らなり。茲(ここ)に邪氣住(じゅう)するときは、息短く、喘息、痰出で、肩臂(ひ)きの煩い出る。
 肝臓と號(ごう)するは両章門、並びに章門の上下なり。
邪気出でる日(とき)は必ず眼目(まなこ)の痛み、疝気、淋病、胸脇攣(ひきつ)り痛み、息合い、短く、究めて短氣にして酸物(すきもの)を好む。又は足の筋攣ること、扨(あるい)は諸の病に寒氣を出すは、皆以て肝の業(しわざ)なり。肝瘧(かんしゃく)など云も此處(ところ)に邪氣あり。針して邪を退る時は痊(いゆ)る。

ここでいったん切ります。
この章では腹診をするさいの臓腑の対応するところと、臓腑が邪に侵されたときの症状が示されています。夢分流腹診の図があれば、それを見ながら読んでもらえれば、もっと分かりやすいと思います。

書いてあることそのままの為、まとめは書きません。

個人的な感想を言えば肝が悪くなるといろんな症状がでるみたいですね。
夢分流腹診の図をみれば、肝は肝相火となっていて、相火の扱いになっていることからも重要な位置づけなのかもしれません。

鍼道秘訣集②當流臓腑の辨 その2

鍼道秘訣集 第2章 當流臓腑の辨の後半です。

胃の腑は鳩尾の下と臍(へそ)の上との間に住する。維(これ)、人間の大事とする處一身の目付處とす。萬物、土自(よ)り生じて還た終わり土に入る。

他流には、胃の腑、虚し易き甘き味わいの物、脾胃の藥とて甘き物を用い、補藥密丸等を用いる事、心得難し。
其の故は、日夜朝暮食らう處の物は、皆胃に入るがゆえに餘の臓腑と違い、實し易きに依り、還って邪気となるゆえに、食後に草臥(くたび)れ、眠りを生じ、扨は胃火、熾(さかん)なるが故に食物を焼き、胃乾くにより、食を沢山に好み食う。
その終わりに手足へ腫れを出し、土、困(くる)しめば、腎水を乾かし、脾土へ吸い取られぬるに依って、腎の水も共に乾き、火となり、邪と変じて小便止まる。

加様の病い、元胃(もとい)の腑の實し、邪となる事を辨(わきま)えず、腎虚、脾虚なれば、補藥等の甘味を用い宜し、などと云うて用いるときは、忽(たちま)ち心腹になづみ、返って重病となる。是、唯燃える火に薪を深(そ)えるが如し。

又、甘き物、腎水をも益(ま)すなどと云う人有り。維(これ)、以て謬(あやま)りなり。甘は脾土の味い、土尅水の理なるにより、腎水の為には大敵なり。何ぞ藥と成べき。
加様の違いにて生くべき病人も死に趣くを非業の死と號す。

富流の養生針などには、兼ねて脾胃、實(じっ)しやすく、邪気と成りやすく龍雷相火(りゅうらいしょうか)の肝、實し易れば、病と變ずる事を悟りて、肝胃の亢(たがわら)ざる様にと針す。

夫針は金なり。金は水の母にて、金裏に水を含み、陰中の陰なる金水を以て、邪熱を鎮(しづめ)退く。
胃實は邪熱の根と云う。脾胃の實火に甘物を用れば、彌(いよいよ)以て、病重る事明なれば、補藥を用て験(しるし)無し。

胃火、熾(さかん)にし、煩う病人は必ず甘味を好む。是、其の病の好む處なれば、用て惡く用ずして吉、右は大法奥にて漸漸に斷(ことわる)べし。

[夢分流臟腑の圖]

大小腸圖の如し。病証、後後(のちのち)にあらわす故に畧(りゃく)す。臟腑の煩いは十四経(じゅうしけい)、針灸聚英(しんきゅうじゅえい)等にあり。又、藏腑に屬する處の物は難經にある故に記ず、見合すべきなり。



これで當流臓腑の辨は終わりです。
この記述から分かる通り、胃について詳細に書かれていますね。胃に邪が入った時どうすればいいかまでも書いてあります。それほど胃が大切であることが分かります。
病人は甘い物をほしがるけど、ほどほどにしないとまた身体を悪くするということでしょうね。

[夢分流臟腑の圖]は夢分流の腹診の図のことです。あの図がここに記載されています。

小腸・大腸に関しては省略されています。

また、臓腑の病に関しては『十四経発揮』、『鍼灸聚英』、『難経』を参考にしろと言ってます。
やはり、ある程度の古典の素養は大事ということでしょうね。

鍼道秘訣集③ 心持之大事

鍼道秘訣集の3章 心持之大事です。

他流には何れの病には何れの處に何分鍼立てるなどと云う事計(ことばかり)に心を盡(つ)くし、一大事の處に眼(まなこ)を付けず。
當流の宗とする處は、針を立る内の心持を専とす語に、
事わざに無心にて心に無事なれば、自然に虚にして霊空にして妙。挽(ひか)ぬ弓、放(はなて)ぬ矢にて射る日(とき)は中(あた)らず、しかもはづさざりけり。
是、當流心持の大事なり。此の語歌を以て工夫し、針すべきなり。


これを纏めてみると、
他流にはこの病にはここに何部鍼を立てるなどと考えるばかりで、大事なことに目をむけていない。
夢分流の宗とするところは、
無心に治療していると、考えずども自然に虚したところを治療している。しかも確実に虚した所をはずさない。
これが夢分流の心持の大事である。この言葉を以てそれぞれが工夫して鍼をするべきだ。

ということでしょう。
一番大事なことがちゃんとまとめれているか不安ですが…。


無心で治療していると、患者さんの悪いところが自然と見えてきて、自然に適切な治療をしているということでしょう。

確かに腹診をしようとお腹を見ただけで、あきらかにここらへんが虚してるからそこを補うように治療していけばいいかなと思ったことがあります。
そこには理論もへったくれもなく、ただ直感のみです。おそらくそういうことが言いたいんだと思います。

余計なことを考えずに患者さんと向き合えば、おのずとどこが悪いか見えてくる。そこからどう治療していくかは個人にゆだねられていて、それも思った通りにやっていけば必ず治るということでしょう。
心の赴くまま治療ができるようになりたいですね。

鍼道秘訣集④三清浄 その1

鍼道秘訣集 第4章 三(みっつ)の清浄(すまし)です。
この章はかなり長いので、3分割もしくはそれ以上になるかもです。

此、三の清浄心の法の沙汰なり。
維(これ)心の字の形なり。
3つの清浄

三つの輪は、
清(きよ)く、浄(きよ)きぞ唐衣 くると念(おも)うな、取と念(おも)わじ。
三つの輪と云うは、貪欲(どんよく、いかる)、瞋恚(しんい、いかる)、愚癡(ぐち、おろか)の三毒の心の清き月を暗す悪雲なり。

歌に
貪欲心(むさぼりおもうこころ)
貪欲の 深(ふか)き流れに沈りて 浮瀬も無 身ぞいかがせん
瞋恚心(いかるこころ)
燃(もえ)出る 瞋恚(しんい)の炎に 身を焼て 己と乗(のれる)火の車哉(かな)
愚癡心(おろかなるこころ)
愚癡(ぐち)無智(むち)の 理非(りひ)をも分(わけ)す 僻(ひがみ)つつ 僻(ひが)むは一(おなし) 僻むなりけり

第一の貪欲心、變じて一切の禍いとなる。此欲を離れざるがゆえに、針も下手の名を取事あきらかなり。
譬(たとえ)ば、病人に逢て腹を診(うかが)い、我心に乗り、加様にせば愈ゆべきと念(おも)う病者も有り、又療治の行(て)だて心中に移り浮ぶ事なく、腹の體、吾が心に乗(のら)ぬ病人數多あり。
加様の心に移らず、腹の様子合點行(ゆ)かざるは、百日、千日針するとも吾が心に合點(がてん)のゆかぬは愈えざる物なれば、餘人へ御頼みあれとて療治せざる物なり。
しかるに、我心に合點(がてん)行ざれども、病人福祐なるか貴人等なれば合點(がてん)は行かねども、先(ま)づ一廻(まわ)りも針せば、譬(たと)えば病人死したりとも、針の禮は受くべきなど念(おも)い、取り掛かり、療治すれども、元来合點(がてん)の行かぬ病なれば痊(いえ)ず。
しかれば此の針立下手にて、針の験なしとて、針立を替者なり。
又、重病にて我心に乗らねども、欲心に被(さ)れ引か取り掛り針する内に、病ひ彌(いよいよ)重り、終(つい)に死すれば、下手の名を取る事は我欲心熾(さか)んなるがゆへなり。

ここでいったん切ります。

ここまでを纏めると、

この図は心を表している。

三つの輪というのは、貪欲(どんよく、むさぼる)、瞋恚(しんい、いかる)、愚癡(ぐち、おろか)のことで、この3つの毒が清らかな心を隠してしまうダメな心である。

歌に、
貪欲心には、
貪欲の 深き流れに沈りて 浮瀬も無 身ぞいかがせん

瞋恚心
燃出る 瞋恚の炎に 身を焼て 己と乗火の車哉

愚癡心
愚癡無智の 理非をも分す 僻つつ 僻むは一 僻むなりけり

とそれぞれある。
最初の貪欲心は、そのうち大きな災いとなってしまう。貪欲心を捨てきれないから、鍼が下手であるという汚名を返上できない。
例えば、患者さんのお腹を診てると、自分の心が乗ってたら、このようにすれば治療できるんではないかと思う患者さんもいる。また、治療の仕方が浮かんでこず、腹の体が自分の心に乗ってこない患者さんもいる。
このように治療の仕方が心に移らず、お腹の様子に納得できなければ、百日、千日鍼をしても、自分の心に納得がいっていないので、癒えなず、他の人に頼むしかない。
つまり、自分の心に納得してなくても、患者さんが裕福な人や貴人だと、とりあえず鍼をすればなんとかなるだろうと思って治療すると、もともと納得していなかったので癒えない。
そうなれば、鍼立てが悪いからといって、鍼立てを替えるようなものだ。
また、重病にて自分の心に乗らないけれど、欲心にかられて鍼をするうちに、病気はどんどんひどくなり、ついに死人をだしてしまえば、下手な鍼という汚名を返上しようとする欲にかられてしまう。そうするとますます泥沼にはまって、汚名は返上できない。

ここでは3つの清浄について詳しく書かれています。
心のありようで、患者さんを治せるか治せないかが決まってしまうということです。

まず、貪欲な心は人を死なせてしまう危険があるから無欲でいなさい、ということが書かれています。
また、納得がいかずに治療しても、効果がないとも言っています。
つまり、自分の心をすまして無欲になり、自分の信じる治療をしていけば、必ず治るということだと思います。

鍼道秘訣集④三清浄 その2

鍼道秘訣集 第四章 三の清浄(すまし)の続きです。

人間と生れ、欲の無きと云う者あらざれども、重欲心を嫌うなり。
此の欲の雲中に強き時は、心鏡の明らかなるを蓋(おお)い、暗まずが故に病い心の鏡に移り觀ゆる事少も無きにより、生死病証の善悪も辨(わき)まへ難し。
欲の炎熾(さか)んならざる時は、吾が心清くて曇無き秋の月明なる鏡の如くなるに依って、病の吉凶生死の去来(きょらい、さりきたる)、善く浮みしるる也。
是三つの清浄の第一なり。

次に瞋恚(いかる)氣心にある時は、前の如く亦心鏡を暗まず。
是、瞋恚(いかる)氣の出ると云うは、愚かなる意より出るは元来、我を立てるが故なり。

木火土金水の五行と陰陽の二つを借り出で生ず。皆以って借物なり。
身の中の五藏六腑、五行に配す五つの物を借り得たるが故に死期に望みて一つ一つ元の方へ返す。
然れば、我とすべき物なし。又、頼みをなし千萬年とも念(おも)うべからず。

歌に、
地水火風 集り生(なせ)る 空(あだ)な身に 我と頼まん 物あらばこそ

暫時(しばらく)生のある間にて焼ば、灰埋(うず)めば土と成からは我と立べき物なし。
大水の 先に流るると橡(とちか)らも 身を捨てこそ 浮瀬もあれ

然れば、我を捨て無我の心になる時は、瞋(いだ)る氣も人を恨むる意もなし。
我を立てるがゆへに恨瞋(うらみいか)る心も又、欲の意も出る。

是、元(もと)を知らざるは愚癡(ぐち)の暗に迷うがゆへに色の道に耽(ふ)けむ物毎に愛著、執心深くして、背く物を恨み瞋(いか)り、貴人・高位・福人に諂(へつ)らい、金銀米銭を得んと欲もい、賤(いや)しき者貧者をば目にも掛けざる様にするは、襊(えり)に付く虱(しらみ)根性とて、大愚癡より生ずる是の心、少しもありては中(なか)なか病を痊(いや)す事憶(おも)い寄(よ)らず。

貴き人にも諂(へつ)らわず、賤しき者をも撰ばず、福人・貧者のい隔り無く、唯、病苦を救わんと念(おも)い、慈悲強く正直にして、邪見・欲心を離れたる處、即心即佛なれば、天道佛神の護(まも)りありて、其の業に自然と妙を現わす歌に、
慈悲佛(ほとけ) 正直は神 邪見者(ひと) 心一つを 三つに云べき

是の歌を以って、能(よ)く心得貪(むさぼ)る心なく、無我の心にならんと念(おも)い、十が十ながら無我無欲にならずとも、半分にても心清(すま)して病を痊(いや)さん事は疑い無し。

ここで切ります。
纏めると、

この世に人間として生まれたならば、欲の無い人間などはいないが、たくさんの欲を嫌う。
欲が強いときは心が曇ってしまって、心の鏡に病状が写らないので、病気の良い悪いを判断することができない。
欲を出さずに治療すると、自分の心が清んでくる。それはまるで雲の無い秋の月のような状態であって、病の状態をよく写してくれる。
これが三つの清浄のひとつ目である。

次に怒っているときは、まえのように心の鏡が暗くならない。
怒る気の出るというのは、愚かである意より出るはもともと我を立てるからである。

木火土金水の五行と陰陽によってできていて、皆これによって借物である。
身体の五藏六府は五行に配当される5つの物からできているので、死ぬ時はひとつひとつ戻っていく。そうすると自分というものは無いことになる。

歌に、
地水火風 集り生(なせ)る 空(あだ)な身に 我と頼まん 物あらばこそ
とある。

しばらく生きている間に焼けば、埋めても土と成るので自分ではない。

大水の 先に流るると橡(とちか)らも 身を捨てこそ 浮瀬もあれ
とある。
そうすると、自分を捨てて無我の心になった時に、怒る心も人を怨む心もなくなる。
自分を優先する為に恨み怒りの心がでて、欲も出てくる。

もともとを知らないのは、愚痴の暗闇に迷っていているからで、色の道にふけることに愛着し、執着してしまうからで、背いた人を恨み怒ったり、貴人・高位・福人にへつらってお金をたくさんもらおうと思って、貧しい人に目もかけないようでは襟についているしらみのような根性である。
大愚癡より生ずるこの心が少しでもあったらば、なかなか病を治す事が思いよらない。

お金持ちの人の人にへつらわず、貧しい人を選ばず、裕福な人・貧しい人の隔りが無く、ただただ病苦を取り除こうと思って、慈悲深く、正直になることで邪見・欲心を離れたならば、即心即佛であり、天道佛神の護りによって、其の治療に自然と妙を現わす
歌に、
慈悲佛(ほとけ) 正直は神 邪見者(ひと) 心一つを 三つに云べき
とある。
是の歌を以って、得貪な心なく、無我の心になろうと実践すれば、十が十ながら無我無欲にならずとも、半分でも心清(すま)して病を治そうとしているのは疑いの無いことである。

こんな感じでしょうか。
非常に大事なことが書かれていますね。
大事なことですが、文章にするのは難しいです。

無欲になることは難しいけれど、それを実践しようとしていれば、おのずと効果が出てくるんでしょうね。

鍼道秘訣集④ 三清浄その3

鍼道秘訣集第4章 三清浄の続きです。

是、貪欲(どんよく)・瞋恚(しんい)・愚癡(ぐち)の三つの念(おも)いあらざる日(とき)は、心清し。
此故に、心を清浄に持つを三つの清浄(すまし)と云う。是の心持ち、諸藝(しょけい)に用いる事なり。
殊に神へ参詣するにも身を清むるは次にて、心の清浄を専(せん)とす。心清ければ、神(たましろ)清きがゆへに、向いの神も又清く納受あるなり。

往古(いにしえ)栂尾(とかのお)の明慧(みょうえ)上人と笠置(かさき)の解脱上人と此兩(ふたり)の名僧をば、春日大明神雙(そう)の御眼雙の御手の如く思召けるに、明慧参詣の日は、御簾上り、直(じき)に明慧と春日御物語成され、解脱参詣し玉うには、御簾を隔だて御物語成さる。
或日、解脱上人参籠(さんろう)有りて、春日へ御申し有りけるは、
神と申し奉るも佛の垂跡(すいじゃく)なり。佛は降る雨の草木・國土を漏さず、濕(うる)おすが如く、平等にして隔て更に無し。然るに、明慧と我と別の違い有るべからざるに、明慧参詣には直に御對面(たいめん)あり、我詣ぬるには、御簾(れん)を隔て御物語し玉う事、心得え難しと問い玉う。
明神仰けるは、我に何の隔て事の有るべき。其の方、左様に念う心、御簾の隔てとなるなりと御返答御坐けると、是解脱房の心に慢心の我あるゆへなり。

又、古(いにしえ)美濃の國、加納の城に於伊茶(おいちゃ)と申す女の母、重病を受け苦む。
於伊茶(おいちゃ)、餘(えり)の悲しさに、關と云う處に、龍泰寺の全石と申す僧を請じ、祈祷の為に陀羅尼(だらに)を讀(よ)みてもらひける。
全石一心不亂に陀羅尼を讀むこと暫く有りて、母頭をあげ、やれやれ嬉しや、頃(このごろ)心の内に苦みありて悲しかりけるに、御經の力に依り、苦み無しと、悦ぶ事涯(かぎ)り無し。
厥時(そのとき)、全石憶う様、最早布施をもらい歸(か)えるべきか、今少し逗留(とうりゅう)すべきかと思う心出来(いでき)ける時に、母やれやれ悲しや還心苦しく成て候と悲しむ。
全石、是を聞き、扨(さて)は我に欲心出る故と念(おも)いとり、前(さき)の如く、一心不亂に陀羅尼(だらに)を讀みければ、母も病漸漸(ぜんぜん)に軽く成り、終に痊えけるとなり。

此も皆我心の清浄と不清浄との謂(いわ)れにて、加様の善悪あり。
又、病者に向うて憶病(おくびょう)出る人有り。是は我藝(わざ)の至ざる者(ひと)は、心に動轉(どうてん)出で易し。去れば、不動明王の背(せなか)なる伽婁羅炎(かるらえん)は心火をあらわす。
其の火の内に、不動御座(おわします)は、人人の心の動ぜざる體なり。諸藝(けい)共に不動の體とならざれば、其の事(わざ)成り難し。
歌に、
鳴子をば 己が羽風に 任つつ 心と騒 村雀哉

此の段能能心掛け、工夫を成すべし。是、心持第一の事なり。

以上で終わりです。

ご覧の用にかなり長いです。他の章はこんなに長くありません。つまり、この章が『鍼道秘訣集』で最も言いたいことになります。
自分の心に曇りがあると、隔たりがあるように見えたり、治療しても効果がでない、といったことが霊をあげて書かれています。
これは本当に大切なことですね。
この章を何回も読みなおして治療に当たりたいものですね。

鍼道秘訣集⑤ 四脉之大事

鍼道秘訣集 第五章 四つの脉の大事です。

脉は往古(いにしえ)より七表八裏九道と分つといへども、加様に細かに採り知る人無し。
やうやう浮・沈・遅・數の四つを採り知る人も稀なり。しかるに、當流の四つの脉は、數千萬人の奇特あり。先づ動氣・動氣の亂る・相火・相火の亂ると號して四つなり。

動氣と云うは、遅からずトントントンと打ち来たる脉なり。世上にて平脉と號す是なり。

動氣の亂とは、右述る平脉の内に打切れあり。譬(たと)えば、トントントンと来たる脉、トントントントントントンと加様に打切する。是脉を無病なる人得る日(とき)は、必ず災難に逢うか、扨くは大病を得る事猜い無し。
舊(むかし)意齋と古道三同時の人にて殊に朋友(ほうゆう)たりし間、意齋、夢分より傳授し玉う是の四の脉を古道三へ傳え給う。
其後、道三用ありて關東へ下向の折節(おりふし)、道中の今の新井に泊り、日暮れて主の脉をとり觀玉うに、動氣の亂打来る。道三、下人共を呼び、一人づつ脉を觀玉うに、何れも災難に逢う脉なりしかば、道三不思儀の念(おも)いをなし、其の儘(まま)宿を立ち、夜と共に五六里關東の方へ下向して宿を借り、心を静め、上下の者共迄残らず脉を觀玉うに平脉なり。扨も不思儀の事哉と思い給う。其の夜、新井の山よりして螺(ほらがい)抜け出て、新井の諸人災難に逢うて死する者數を知らず。其日道三死を逃れ給ふも、是脉相傳の印なり。夫よりして道三、是の四つの脉を秘して輙(たやす)く相傳し玉う事無くして終(つい)に秘し失(う)せぬ。
今、意伯家に傳る。此の外、加様の奇特筆紙に盡し難し。仍(よ)って畧(りゃく)す。
扨又(さてまた)、相火と云う脉はトントントンと成程早く来たる脉なり。維(これ)を病人の脉と號す。相火の亂れと云は、トントントントントントンと早く来る脉の内に打切あり。此を死脉とする。加様の脉は十人が十人は死すると知べし。

此れ當流の大事なれども、是の四つの脉を知って療治する本道・針醫、謬(あやま)りをせざれば、非業の死無き時は大なる善根と念(おも)い、書き記す。
扨、是の脉の觀處は手に非らず。臍中・神闕に指の腹をあてて打来る脉を觀るべきなり。是の神闕を當流に三焦の腑と號す。維又(これまた)、相傳事なり。奥に記す。故に畧(りゃく)す。


この章では夢分流の脈診のことが記されています。
動氣・動氣の乱る・相火・相火の乱るの4つだそうです。
詳細はそれぞれの項を見てもらえれば、分かると思います。

夢分流の腹診は何回かやったことがありますが、脈診はしたことがないのでこの辺のことは分かりません。
動氣の乱れの脉だけは打ってほしくないですよね。

鍼道秘訣集⑥ 火曳之鍼

鍼道秘訣集第六章 火曳きの鍼です。

是の針の術は臍下三寸、両腎の真中なり。
産後の血暈(けつうん)とて子産みて後、眩暈の来たる日(とき)、臍下三寸の針して上る氣を曳き下ろす針なり。譬(たと)え産後に眩暈無くとも、三十一日の内に二、三度程針する物なり。
扨、凡そ病証上實して下虚する人は必ず上氣する。加様の者(ひと)に火拽の針を用る。是の外病証に依って用いる事、醫の機轉に依るべきなり。

基本的に産後に使うものですが、気が上っている上実下虚の人にも使えるということです。
このように、原因が同じなら応用を利かすことも大事とも言っていますね。

鍼道秘訣集⑦ 勝纍之針

鍼道秘訣集第七章 勝纍(かちひき)の針です。

是の針は大實証なる人の養生針の日(とき)、扨又(さてまた)傷寒の大熱、傷食の節(とき)用いる。處定らず邪氣を打ち拂(はら)い針を曳く。是、瀉針なり。虚勞、老人には用いざる針なり。其外は大方是針を用いる。

勝曳(かちひき)の針は瀉法の鍼で、基本的に実証の人にしか使わないようです。なので、虚した人や老人には使えず、虚証以外の人にもだいたい使えるものらしいです。

前回の火曳の針から分かる通り、夢分流の針のやり方についての説明が続いていきますが、あいまあいまに大切なことがらが挟まれています。

鍼道秘訣集⑧ 負曳之鍼

鍼道秘訣集 第八章 負け曳きの鍼です。

是も處定まらず病床に依って邪氣の隠れ居る日(とき)、針にて其の邪気をおびき出でて治療する事有り。加様の針を用いる病人は、何とも病証知れ難し。
功を積みたる狐の付けたる病人は、狐付とも氣違いとも知れ難き物なり。其の時にも用いる。

兎角(とかく)、邪氣を曳い出して様子を觀、療治せんと欲(おもう)日(とき)用る針の方便なり。
諸病の知れ難き時の問(とい)針と心得べし。


この負け曳きの鍼は、邪気が奥に隠れてしまっていたり、病証がよく分からない時に使う鍼みたいです。

不問診を掲げる夢分流ならではというか、病証が分からなければ普通は患者さんに症状を聞ききますが、そうではなく、鍼によって病証が分かるように持ってこうとするところがすごいところだと思います。

鍼道秘訣集⑨ 相引之鍼

鍼道秘訣集 第九章 相引きの鍼です。

是も處定まらず、和(やわら)かなる針。虚勞の証、老人養生針に用いる。
邪氣の曳くと、針を曳くと相曳きに引く針なり。
補針とも言うべし。

相引きの鍼は補法の針で、身体の弱っている人に使える針みたいです。
邪気を曳くのと、針を曳くのを当時に行なう針らしいです。

鍼道秘訣集⑩ 止針

『鍼道秘訣集』 第十章 止まる針です。

立て處は兩腎なり。其の内多くは右の命門、龍雷(りゅうらい)の相火にて常常(つねづね)亢(たかぶ)り易く上り安し。
腎水を漏したる日(とき)は、必ず右腎・命門の相火動ずる物なり。
天、是れの火にあらざれば物を生ずること能わず。人是の火非ざれば、一身を生ずること能ずと云いし火は是なり。邪氣にも五邪ありとはいえども、眼とする處は命門の相火なり。
是の相火の亢(たかぶ)り上るに針して、止どめ上さざる様にするを止まる針と號す。諸病に宗(むね)と用る止どめ様、口傳なり。工夫以て針し覺ゆべし。


纏めると、
針を立てる所は両腎で、その内の多くは右の命門・龍雷の相火になる。ここは気が亢ぶり易くて上り易い。腎水が弱いときは、必ず右腎・命門の相火が動いている。
天にこの火が無ければ物を生じさせることができず、人にこの火が無ければ身体を生じることができないという火は相火である。邪氣にも五邪があるといっても、注目するところは命門の相火である。
この相火の亢ぶり上るのを止どめて、上らないようにすることを止まる針という。
いろいろな病に使える止め方は口伝である。工夫しながら覚えていきなさい。

ということでしょう。

止まる針を用いる所は両腎で、ほとんどは右腎である腎の相火すなわち命門に使うようです。
それほど相火が大切だということでしょうか。
心・小腸である君火の他にも、心包・三焦である相火があるのも、重要だからあるということでしょう。その重要な相火の気が昂ぶりやすく、もし散じてしまうことがあれば身体を保つことができなくなるので、その昂ぶりを止める為に使う針ということでしょうね。

鍼道秘訣集⑪ 胃快之針

鍼道秘訣集第十一章 胃快の針です。

大食傷(たいしょうしょく)の日(とき)、針先を上へ成し、深く針して荒荒(あらあた)と捏(ひね)る大法。
是の針にて食を吐き、胃の府くつろぎ快よくなるが故に胃快の針と號す。
併(しかしなが)ら常には針せず。處は臍(ほぞ)の上真中通り、臍(ほぞ)の上一寸是れなり。
又、腫氣(しゅき)の病人に針す。口傳。

食べ過ぎの時に用いる吐かせる為の針らしいです。また、腫氣の病にも用いられるみたいですが、腫氣というのは腫れものがある人のことでしょうか。
めったに行われない針で、口伝によってのみ伝えられる針みたいですね。
プロフィール

kouitsu

Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

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