『難經本義諺解』 掲(けっこう)の序
4つある序の中でまずは掲の序です。
難経本義序
一段
素問、靈樞は醫の大經、大法焉に在り。後世諸々の方書皆此れに本づく。然れども、其の言簡、古淵涵にして未だ通曉し易からず。故に秦越人發して八十一難を為す。其の義を推し明らかしむる所以なり。
二段
然して、越人古を去ること未だ遠からず。其の言も亦た深く、一文一字の意周ねく㫖密らかなり。故に之が註釋を為す者も亦た數十家。但に各おの臆見を以て卒に歸一の論無し。或いは此を得て彼を失い、或いは前を舉げて後えを遺す。惟自ら誤まるのみに非ず。又、以て人誤まるを識る者は焉を病む。
三段
許昌の滑君伯仁は篤實詳敏、博く群書を極めて醫に工たること三、四十年。廢を起し、痼を愈やすことを勝げて紀すべからず。遂に晝惟い、夕べに思いて旁ねく推し遠く索めて難經本義二卷を作る。
四段
其の精微を析ち、其の隠賾を探り、其の玄要を鈎り、疑わしき者は之を辯じ、誤まる者は之を正し、諸家の善なるは之を取る。是に於いて、難經の書辭遠く、理明らかに條分縷觧して、素問、靈樞の奥も亦た是由りて得たり。
五段
夫れ人の生死は醫に係る。醫の本原は經に出づ。經の㫖明らかならずんば、其の害勝げて言うべけんや。然る則は伯仁の功、豈に小補なる者ならんや。
至正二十六年二月 工部即中 掲の序
*一段、二段、三段、…とあるのは『難経本義諺解』によって補っています。段とは段落のことです。
*()において、ひらがなはその漢字の読み方。漢字は現在通用する漢字。
これは掲が書いた序です。序には岡本一抱による注釈があります。
○凡(およ)そ序に自序と他序の两(両)法あり。自序は己が書に自らするが故に兼退の辞(けんたいのことば)を以す。他序には稱(称)美の辞(しょうびのことば)多くす。此れ其の法なり。
○難經(経)本義の序、凡(すべ)て四つあり。伯仁の自序を始めとす。掲(けっこう)序を終りとす。如何(いかん)となれば、書を編みて自序を作りて先づ其の始めに冠(かんむら)しめ、後他人に請うて序を求める時は其の自序の上へに重ね續(続)く。復た序を求める時は亦た上に重ね續(続)く。故に首(はじめ)に在する所の序は終わりに出來(いでき)たる者とす。自序は反って始めに出來(いでき)たる者とすることを知るべし。
昔の本は紐で閉じていたので、後からいくらでも取り外し可能です。
先ず自分が序を書きます。もし他の人にも序(現代でいう推薦文みたいなものだと思います。)を書いてもらえた時は、自分の序の上に置き、更に他の人にも序を書いてもらえればまたその上から置いていきました。このように後に出来たのもを上へ上へ重ねていったので、最後に書いてもらった他序が始めにくるようになり、最初に書いた自分の序が最後にくるようになります。
ここでは、最後に書いてもらった掲(けっこう)の他序が最初に来ていることになります。
この掲序の内容は、
一段
『素問』と『霊枢』は医の基本ではあるけれども、書かれている言葉が簡潔で、一つ一つの言葉の意味が奥深い。そのため後学者が勉強しても意味が取りにくい。そこで秦越人がその言葉の解釈を八十一篇にまとめたものがこの『難経』である。
二段
だが越人も今では昔の人である。そのため今では意味が取りにくい部分もでてきてしまった。そこで越人よりも後の人がそれぞれ『難経』に注釈をつけてきている。その数は数十人。しかし、その注釈もそれぞれが思い思いにしているので、もともとの『難経』の意味とは違うものとなってしまった。それを読んだ後学者は間違った解釈を信じてしまう。これでは間違った解釈をした人だけの問題ではない。だから正しい意味を注釈した本がないことを知っている人たちはこのことを嘆げくのである。
三段
許昌に住む滑伯仁は思いやりがあり、智慮深い人である。いろいろな医学書を集めては医道に詳しいこと30~40年。長く病気に罹って回復しにくい人たちや、他の人では治すのが難しい病気を治しているというのはいちいち挙げればきりがない。その滑伯仁は『難経』に良い解説書がないのを嘆げいていた。そこで自身でいろいろな解説書にある、一つ一つの言葉の是非を一日中考え、ついに『難経本義』全二巻を作った。
四段
滑伯仁は『難経』の意味を明らかにしてその隠れた意味を探り求め、得にくくなった越人の意味を書き尽くし、『難経』本文の誤字等のおかしな所は指摘し、解説書の考え方の間違えを訂正し、解説書の中でも正しいものは取り入れたため、他には及ぶべくもない正しい解説書ができあがった。そのため、『難経』だけでなく、『素問』『霊枢』の意味も得やすくなった。
五段
そもそも人の生死は医によるものである。医の源は『難経』を含む『内経』にあるのだ。そのため『内経』の意味が分からなければ、それによる弊害は言うまでもない。だから滑伯仁の功績は決して小さいものではないのだ。
至正二十六年(1366年)二月に工部即中である掲が序す。
です。岡本一抱の注釈を混ぜてなんとか文章にしてみました。
岡本一抱の序の注釈にもあったように、他序は称美の言葉が多いというのがよく分かります。これでもか、これでもかって程、ほめちぎってますね。これがあと2つ続きます。
掲の序からは特に気になる用語とかはなさそうです。
それでは次は張翥(ちょうしゃ)の序をみていきたいと思います。