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周易その6 周易とは

さて、八卦のことを易とも言いますが、ここでのタイトルを「易」とせずに、わざわざ「周易」という風にしてるのにお気付きになった方はいらっしゃいますか。
実は易には他にも種類があるからこうしたんです。占いをやっている方だと「五行易」とかが思い浮かぶか方もいるかもしれません。しかしそれは「五行易」とかの事ではないです。「五行易」等も全て「周易」を基に作られていますから。

では他の易とは何かといわれると、「連山易」「帰蔵易」です。これに「周易」を合わせて「三易」と呼ばれます。

『周易正義』序の第三論 三代易名に
周礼大卜三易伝に云う、一に曰く連山、二に曰く帰蔵、三に曰く、周易。

と書かれてる通りです。
では他の2つの易の内容はと言われると「分かりません」としか言いようがありません。何故なら「連山易」「帰蔵易」は古代において亡びてしまったので、現代には伝わっていないのです。唯一「周易」のみが伝わる”易”なのです。

『周易本義』の周易上經の最初には、
其の卦は本伏羲の畫す所にて、交易變易の義有り。故に之を易と謂う。
其の辭は則ち文王周公の繫ける所。故に之を周に繫く。其の簡帙重大なるを以て、故に分かちて上下兩篇と爲す。
經は則ち伏羲の畫、文王周公の辭なり。孔子作す所の傳十篇を幷せて、凡て十二篇。

とあるようです。
つまり「伏羲」が易を作り、「文王」(姫昌のこと。周王朝の始祖)と「周公」(姫旦のこと。姫昌の息子)が易を整理してそれを論じ、「孔子」が『十翼』と呼ばれる易の解説書を作ったということです。

それぞれの偉人についてみていきます。
「伏羲」は伝説上の古代中国の王です。「伏羲」は『史記』「三皇本紀」の最初に名前がでてきます。
『史記』の原文は持っていないので原文での説明は割愛しますが、確かに八卦を作ったと記されています。

「文王」は姫昌のことです。この人は周王朝の始祖ですが、何故始祖という表現が使われているかというと、周王朝の開祖はその子供である姫発だからです。姫発は武王とも呼ばれます。
姫昌は商の紂王に使えた人だったんですが、無実の罪で羑里(きょうり)に幽閉されてしまいます。この時に周易を推し広げたとされています。
後に紂王の悪政に対して挙兵したものの、志半ばで病死してしまいます。その意思を継いだ息子の姫発が紂王を討って周王朝を樹立させました。

「周公」は姫旦のことです。文王姫昌の息子であり、武王姫発の弟でもあります。この人は政治能力に優れ、姫発の跡を継いだ成王の摂政となって活躍しました。

「孔子」は『論語』で有名な人ですね。本名を孔丘と言います。この孔子が『十翼』と呼ばれる易の解説書を作ったとされています。

こんな感じです。
と、ここまで人物を追ってきましたが伝説なので当てにはなりません。特に『十翼』はその文体から一人で書いたとは思えないそうなので、孔子が『十翼』を書いたことは歴史的事実ではないようです。

易とは関係ない余談ですが、10年ぐらい前に『封神演義』という漫画がはやりまして、その中に伏羲、文王姫昌、武王姫発、周公姫旦も登場します。漫画では全員活躍の場がありましたが、原文では…。
もし『封神演義』を読みたい方は漫画版なり、文庫版に挑戦してみてはどうでしょうか。
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kouitsu

Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

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