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六部定位脈診 その4

さて、『難経』および『脈経』における六部定位脈診をみてきました。
僕の感触としては、『難経』十八難では六部定位脈診の原型がみられ、『脈経』で一応の完成がみられたとします。

何故かというと、『難経』十八難では気口部の配当は現代と同じでも手の左右の違いについては触れらていないことがひっかかるからです。『脈経』では気口部の配当は現代とほぼ同じで、左右の違いにも言及されています。
ただ、『脈経』での右尺中はいろいろと解釈の仕様ができ、ある意味ぼかされているともとることができます。
だから完成しているとは言い難いですが、ほぼ完成したとはいえると思います。

ですが、『難経』での記述が五行を意識してることは間違いないので、手の左右は書かれていないものの何か裏の意味によって手の左右の違いが書かれているのかもしれないです。肺金と腎水の部分から書かれているのも気になるところですし。
そこで裏の意味がないかを『難経集註』で探してみると、楊註には、
手太陰肺脈や、諸臓の上蓋と為し、其の治は右に在り。故に右手上部に在り。
足少陰腎脈や、腎は水と為し、肺の子なり。水流は腎に趣く。又、下に最居すなり。故に左手下部と為す。
足厥陰肝経や、肝の治は左に在り。故に左手下部に在り。
手太陽小腸脈は心の府なり。故に心に随いて上部に居すなり。
手心主の心包絡脈なり。手少陽三焦脈なり。故に合す
左手中部を為すは足太陰脾脈なり。足陽明胃脈なり。故に合す。

とありました。
「肺の其の治は右に在り。」とは、おそらく『難経』十六難の腹診において肺が臍の右に配当され、「肝の治は左に在り。」も同じく肝が臍の左に配当されるということから書かれているのだと思います。
このように考えると、手の左右が書かれていなくても文から読み解くことは可能だと思われます。

『難経』の作者がこのようなことを意識してあえて左右を書かなかった可能性もあります。
『難経』の文体の特徴として簡素なところがあるからです。
その為、記述だけみると『脈経』由来のように思えますが、裏の意味まで考えると『難経』の方にも分がありそうです。
みなさんはどのように考えますか?
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kouitsu

Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

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