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手の厥陰心包経についていろいろと考えてみました

授業で心包経について疑問になるような話題を聞いたのでちょっと調べてみると、心包経っていろいろなぞな部分が多いなぁと思ったので、今回調べたことを纏めてみたいと思います。

ことの発端は心包経の募穴である中が澤田流(厳密には代田文誌先生の考え)からきているということを聞いたからです。

え!そうだったのか!
確かに代田文誌先生著「鍼灸治療基礎学」にそんなようなことが書かれていたような気もしたけど、まさかそこから由来していて、しかも中国の教科書にも記載されるようになる程の影響力だとは…。

気になったので、『銅人兪穴鍼灸図経』で膻中の項目を調べてみると、確かに心主(心包経のこと)の募とは書いていませんでした。他の腹部募穴については逐一書かれているのに…。

そういえば心包の背部兪穴である厥陰兪も後の時代になってから作られていたはず…。
そう思いだしたので、学校の図書館にあった「経穴集成 復刻版」で調べてみました。

この本は、著明な古典から経穴の位置に関する記述をそれぞれ抜き出してまとめているという素晴らしいものです。要穴までは書かれていないのですが、今回は記載があるかないかを調べるだけだったので、かなり役に立ちました。

それによると、厥陰兪は『太平聖恵方(たいへいせいけいほう)』(992年)が最初の記述みたいです。
やはりかなり遅れての発見ということになるでしょう。
その次に記述されているのは『銅人兪穴鍼灸図経』(1026年)でしたから、『銅人兪穴鍼灸図経』に厥陰兪の記述があるのは、『太平聖恵方』のおかげともいえますね。

ちなみに他の背部兪穴がどの古典からあったのかを調べてみると、
肺兪   『素問』血気形志篇 二十四、『霊枢』背兪篇 五十一
心兪   『素問』血気形志篇 二十四、『霊枢』背兪篇 五十一
肝兪   『素問』血気形志篇 二十四、『霊枢』背兪篇 五十一
胆兪   『脈経』
脾兪   『素問』血気形志篇 二十四、『霊枢』背兪篇 五十一
胃兪   『脈経』
三焦兪 『鍼灸甲乙経』
腎兪   『素問』血気形志篇 二十四、『霊枢』背兪篇 五十一 『霊枢』経別篇 十一
大腸兪 『脈経』
小腸兪 『脈経』
膀胱兪 『脈経』

となっていました。
これを纏めてみると、
五藏の背部兪穴…『素問』『霊枢』 成立不明
五府の背部兪穴…『脈経』     252年
三焦兪…『鍼灸甲乙経』       280年頃
厥陰兪…『太平聖恵方』       942年

となります。

ちなみに『脈経』の記述は、巻三に五藏五府についてそれぞれまとめているところがあるので、その部分からきているようです。
例えば、
「脾兪は背の第十一椎に在り。募は章門(季肋の端が是なり)に在り。胃兪は背の十二椎に在り。募は太倉に在り。」
というように、それぞれの兪募穴にも言及されています。「太倉」とは胃のことであり、中脘の別名でもあります。

このように兪募穴までかかれているので、心包の募穴について調べるにはかなり便利な資料となるのですが、残念ながら三焦と心包に関する記述はありませんでした。
それと巻八にはそれぞれの経脈病について書かれていますが、心包経に関する記述はありませんでした。

これらから、最初に五藏の背部兪穴ができ、次に五府の背部兪穴が。そしてあまっていた三焦と心主の背部兪穴がそれぞれ出来ていったということになり、心包は募穴だけでなく、背部兪穴もかなり遅れてでてきたということになります。
心包経はそれほど特殊な経であるということがいえると思います。

それに今でこそ「手厥陰心包経」という名称ですが、元々は「手厥陰心主脈」という名称でした。
それがいつ変わったかというと、竇漢卿の『鍼經指南』(1311年)や滑伯仁の『十四経発揮』(1341年)では「手厥陰心包経」となっていることから、元の時代があやしそうです。
少なくとも手持ちの古典では、『十四経発揮』の前後で名称が変わっていることが分かりました。

名称に関しては古代の古典をみてみると、
『霊枢』経脈篇 十一では「心主、手厥陰心包絡の脈」。
『鍼灸甲乙経』 巻二 十二經脉絡脉支別 第一上では「心主、手厥陰の脈」。
『黄帝内経太素』巻八 経脈の一では「心主、手厥陰心包の脈」。
となっていて、資料によって名称に若干の違いが生じています。
違いがあるということは、名称が固定されていなかったということがいえると思います。

ただ、『霊枢』経脈篇等では、「肺、手太陰の脈」のように藏府が先に書かれ、次に経脈の名前が続くので、現代風に書きなおすと、
『霊枢』では「手厥陰心包絡心主脈」。
『鍼灸甲乙経』では「手厥陰心主脈」。
『黄帝内経太素』では「手厥陰心包心主脈」。
ということになるでしょう。

また、孫思邈の『千金翼方』には「心主、手厥陰」と書かれていることから、唐の中期以降は『鍼灸甲乙経』の流れをくんだものによって「心主、手厥陰」と固定され、これが『銅人兪穴鍼灸図経』に引き継がれて書き方の順序が変わり、「手厥陰心主脈」となったのではないかと思われます。
『銅人兪穴鍼灸図経』では心主だけは何故か「経」という字がつかわれず、「脈」のままであるというのも意味がありそうです。

それが少し前に書いたように、元の時代になってから「手厥陰心包経」となったんだと思います。

このように心包経に関してはいろいろと考えることができます。

最初の疑問であった中と心包との関係ですが、
『素問』霊蘭秘典論 第八には、
「膻中なる者は臣使の官なり。喜樂(きらく)は焉(ここ)に出づ。」
という記述があります。

この篇では十二経脈の藏府の役割について書かれているのに、心包だけ書かれておらず、何故か代わりに「膻中」としています。
ここもいろいろと解釈することはできるとは思うんですが、おそらく「霊蘭秘典論」が書かれたころには膻中と心包には何らかの関係があるとは分かっていたのでしょう。
それが何故か後の時代には引き継がれなかったようですが…。

今回調べたことはここまでです。
このように心包経に関してはいろいろと考えれるので、何かまた調べて分かったことがあったらご報告します。
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心包の不思議

日本の古典派は心経を使わず、心包経を代用する場合もありますね。心包は循環器疾患に、心経は精神的な疾患に使うとも。

三焦と心包共になにか働きがあることは経験上わかっていたのだろうけれど、イマイチよくわからなかったということでしょうか?

ただ、心包経は使いこなすと味のある良い経絡だと思っているのです。

銅人兪穴鍼灸図経で脈という記述は気になりますね。含みがありそうで。

Re: 心包の不思議

コメントありがとうございます。

心包と三焦は具体的な藏府がないですから、経験的なものに頼らざるを得なかったのかもしれません。

『霊枢』経脈篇で始めて藏府と経脈との関係があきらかになったようで、『馬王堆医経』の『足臂十一脈灸經』『陰陽十一脈灸經』の経脈と藏府の関係は希薄です。

心経と心包経に関してはその成立も少々ややこしいところがあって、どうやら『十一脈灸經』の「臂少陰」において、『霊枢』経脈篇になると「臂少陰」の流注は心包経に、「臂少陰」の是動病・所産病(『霊枢』は所生病)は心経の方に役割がうつったとのこと(佐合昌美先生著「よくわかる黄帝内経の基本と仕組み」より)
そういう事情があるので、心に関する病を心包経で治すというのは自然なことなのかもしれません。

『銅人兪穴鍼灸図経』で脈としているのは、含みがあるからだと思っています。
心主をどうとらえていたか。そもそも心主と心包と心包絡はイコールで結んでいいものなのだろうか。そういうのを考えてみるのもおもしろいかもしれません。
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kouitsu

Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

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