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『難経本義諺解』張翥(ちょうしゃ)の序

どうもです。かなり更新がおくれてしまいましたが、張翥の難經本義序をみていきたいと思います。


難經本義序

一段
(医)の道(た)ること聖なり。神農(しんのう)氏、凡そ草木金石の(か)夭死(ようし)札瘥(さっさ)(すく)うべきを(こと)ごとく諸(経)つらねたまいてより、(しこう)して八十一難秦越人、軒岐鬼臾区の書(けんぎきゆくのしょ)に推し(もと)づきて、(むずかし)きを(ひら)き、疑いを(わ)かち、論(弁)詣(せいけい)してより、鬼神(きしん)(じょう)(のが)るること無き(万)世の法(た)り。其の道天地と(なら)びて功を立て、(あ)小補(しょうほ)ならんや。

二段
且つ夫人(ひとびと)七尺の(からだ)、五(蔵)百骸(ひゃくがい)を以て病を六(気)(れい)に受くれば、乃ち三指點按(てんあん)の下に(繋)く。一呼一吸の間に形影有ること無し。(こと)に其の洪、細、濡、伏を切にす。(も)し一髮(いや)しくも謬誤(びゅうご)或る時は、則ち脉(せい)にして(薬)之を(ころ)す。(しか)るを輕々(かろがろ)しく以て(医)(たん)すべくして、(たや)すく以て(医)を習うべけんや。

三段
(きん)(ぐう)する滑伯仁(かっぱくじん)(もと)(きょ)(いえ)いす。許は東垣(とうえん)を去ること近し。(つと)より李氏の(学)(な)す。遂に(医)に名あり。(よ)(もと)より之を聞きて未だ(し)らざるなり。今季(ことし)の秋(来)りて(せん)ずる所の難經本義を(おく)る。之を(けみ)するに、人をして(あら)たに敬ませしむること是れ有るかな。君が意を(医)(くわし)うし、(脈)絡、寸尺、部候、虚(実)條釋(条釈)(図)陳す。簡にして通。决にして明。予、未だ(かつ)(まな)ばざると(いえ)ども、思も亦た半ばに過ぐ。

四段
嗚呼(ああ)(医)の道は生道(せいどう)なり。道(めぐ)る時は則ち生意宇宙に(み)ち、澤流(たくちゅう)(きわま)り無く、人(寿)を以て死す。是れ則ち徃聖(おうせい)の心なり。世の(学)(よ)く各々一通を(かたわ)らに置きて深く求め、(つと)して(たっ)する時は、之良(医)(な)らざる者は(ほとん)(すく)なからん。

五段
嗚呼(ああ)、越人は我が師なり。伯仁我が為にせず、諸梓(しょし)(え)り、天下の人と之を共にす。是れ則ち伯仁の心なり。故に其の大指を(挙)げて序と(な)す。

至正二十四季 龍、甲辰に集る十月旣望 翰林學士 承㫖 榮禄大夫 知制誥兼脩國史 張翥序


以上張翥の序です。
翥の序の内容は、

一段
医道は聖人の道である。神農がいろいろな生薬を使い、寿命がつきる前に亡くなったり、疫病等で人が亡くなることがないよう、本草(ほんぞう)に基づいて治療をしていた。そして『難経』を書いた秦越人は、『黄帝内経』の議論を推し進めて難しい部分を分かりやすくし、おかしな所を明らかにした。その議論はしっかりしていたので、治療時には病邪がどこにも隠れ潜むことができなくなった。そのため『難経』は医者の宝となった。

二段
七尺の人の身体が六気の乱れから病を受ければ、示指、中指、薬指の三つの指で寸関尺を診る。このように脈診をするときは素早く行う。特に洪脈、細脈、濡脈、伏脈を診る。もし髪の毛一つ分でも誤りがあると、病気が治りやすい脈であったとしても薬でその人を殺してしまう。そのため軽々しく医を話すべきではなく、簡単だと思って医道を習うべきではない。

三段
現在、鄞(きん)に住んでいる滑伯仁の故郷は許である。許は東垣に近い。東垣には李杲(李東垣)が住んでいたので、その付近では李東垣の医のやり方が広まっていた。だから伯仁が医術を習い始めた時は既にそのやり方に影響を受けていたのだ。そして伯仁が医道で名をあげた。私(張翥)は以前より滑伯仁の名前を聞き及んではいたが、実際に会ったことはなかった。今年の秋に伯仁が私の家を訪ねて、自らが書いた『難経本義』を置いていった。これを見てみると、伯仁が名医であることを世の人々はよりいっそう思うだろうという内容だった。伯仁は医に詳しいので、経絡、寸尺、部候、虚実に至るまで、一条一条丁寧に註釈を加え、また図もつけて難経の本来の意味を説明していた。少ない言葉で議論の内容は深く、注釈は不確実なことなく明白である。私は今まで医道を習ったことはないが、この『難経本義』を読むことによって医道の思いを少しは得たように感じた。

四段
ああ、それにしても医道は生かす道であるなぁ。医道がきちんとなされていれば、人々は病気になることなく寿命をまっとうするのだ。生かす道とは、古の神農や黄帝が医道を始めた仁心でもある。世の医者は越人の思いがつまったこの『難経本義』を常にかたわらに置いて深く研究すれば、良い医者にならないわけがないのである。

五段
ああ、越人は私の師匠であるなぁ。伯仁は自らの得た『難経』の本意を自分一人に秘めることなく、天下の人々と議論するために『難経本義』を世に広めようとしている。これは伯仁の仁心である。だからその重要な点をまとめて序としたのだ。

甲辰の年である至正二十四年(1364年)十月十六日 翰林學士、承㫖、榮禄大夫、知制誥、脩國史を兼ねる張翥が序す。

まぁこんな感じでしょう。今回訳すのにかなり苦労しました(^_^;)
微妙な感じの言葉が多すぎるので…。今回『難経本義諺解』では訳しにくいところは『難経本義大鈔』を参考にしているところもあるほどです。

では、今回気になった言葉や、押さえておくべき言葉をあげていきます。

一段
神農
炎帝とも呼ばれています。本草の道、すなわち漢方の生薬の祖です。

札瘥
札は疫病等で人が多く死ぬこと、瘥は疫病等で人が少なく死ぬことを意味します。

諸經
神農本草経のことですが、ただ神農本草経の内容だけにとどまらず、口伝等で伝わってきた内容すべてを指します。

軒岐鬼臾区の書
『黄帝内経』のことです。軒とは軒轅のことで、黄帝のことです。岐は岐伯(きはく、ぎはく)で、鬼臾区(きゆく)と共に黄帝に医道を伝えた六人の臣下の1人です。
岐伯はいろんな篇に出てきますが、鬼臾区は運気七篇の1つである天元紀大論にしかでてきません。臣下の代表として岐伯と鬼臾区が出てきているのでしょう。

鬼神も情を遁るること無し
『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』成公十年の”病膏肓に入る”を参照してください。おもしろい話なのでこのブログでも別にとりあげて書くかもしれません。

二段
六氣
風寒暑湿燥熱のいわゆる六淫のことです。
『春秋左氏伝』には六気とは陰陽風雨明晦を挙げていますが、これは医家の常道ではないみたいです。

三段
東垣
地名でもあり、李杲の字(あざな)でもあります。
李東垣は金元四大家の一人で、身体の土を補うことを主とした「補土派」です。

こんなところです。張翥序で特徴的なのは本草のことにも触れていることと、医道は簡単なものではないと強調しているところでしょうか。一生勉強しないといけないと感じますね。

さて、次は序の三つ目劉仁本の序をみていきたいと思います。
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kouitsu

Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

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