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『難経本義諺解』 劉仁本(りゅうじんほん)の序

今回は劉仁本の序です。
4つある序の3番目にあたります。

難經本義序

第一段
(さて)(神)(薬)を咀して寒温、辛酸甘苦、品製の宜しき(くん)(しん)(さ)使(し)の用、諸本草(ほんぞう)(そな)えたまいてより、(薬)を治むる者、(ここ)(お)いて依り(よ)る。黄帝素問内(経)を作りしたもうに由りて、(およ)病を受くるの根源、兪府皆な(脈)を切にして知る。故に秦越人(これ)に因りて設けて八十一の難の問答を(つく)り、精微を究竟(くきょう)して(医)師の道を(つく)す。世の(医)(おおむ)(しん)に熟して腓を察し、證を(つまび)らかにし、(薬)を治む。難(経)一書の(ごと)きは誠に大本領。(いやしく)も難(経)に由らずして出でるは其れも亦た庸醫(ようい)ならんか。

第二段
余、本草を註する者を(観)るに、今東陽の(しゅ)彦脩(げんしゅう)が著す所にして(すで)餘蘊(よおん)無きが(ごと)し。(しこう)して難(経)<を解す者は其の(いく)ばく家と云うを知る。諸精詣(せいけい)を求むるに、十に一、二も無し。許昌(きょしょう)滑君伯仁甫(かつはくじんほ)岐黃(ぎはく)の術を挾み、(学)は東垣の李先生に出だして(しん)(くわ)しくして(剤)(つまび)らかなる者なり。(あ)を愈し、(こ)(ただ)し、人を活かすこと(のこばり)多。余、足疾に坐し、人人治せども(い)えず。伯仁治法を善くすと言うもの有り。余、之を致す。其の議論を(聴)くに、皆な難(経)より(来)たる。(遙)かに世の(医)を言う者に異なり。(あ)に異ならんや。理義の微を究むる。衆人は(まこと)(し)らざるなり。因りて出して述ぶる所の難經本義二卷を示めす。前人未だ(発)せざる所の(旨)(発)し、首に諸(ず)(つら)ね、後に本義を(そ)す。(けだ)し其の儒者の(学)を積むこと二十(余)年。(およ)(医)の書、(参)考せざると云うこと無し。(しこう)して(おのれ)が意を各條問答の下に折衷(せっちゅう)す。於戯(ああ)、其の心を用うるも亦た仁なるかと。之を得る者は以て黃帝、岐伯の庭に(はし)りて崆峒(こうとう)(寿)域を問うべし。

第三段
(しか)りと(いえ)ども、(われ)(これ)を聞く、望みて其の病を知る者、之を(神)と謂う。聞きて知る者、之を聖と謂う。又問いて之を知る、之を工と謂う。(しん)に至りて(脈)(浅)深、呼吸の至(数)に至りて後に能く療治する者は巧の道を得たり。神聖工、(なん)ぞ見ること得んや。今求むる所の者は巧のみ。巧の中に(お)いて又言語文字を以て(つた)うべからざる者は、(へん)(かく)(ただ)し、緩が膏肓を視るが若し。難經に於いて何ぞ然りと(しか)らざると有らんや。(われ)其れ伯仁甫(はくじんほ)(つまび)らかに云う。

至正二十有一年 重光 赤奮若の嵗 臘月 既望
奉直大夫 温州路の總管 管内務農兼防禦事 天台の劉仁本叙す。



以上、劉仁本の序です。
ここでの内容は、

第一段
さて、神農がいろいろな薬を考えて、其の気味の寒温、辛酸甘苦、有毒無毒等のの品類、正しい製法、立法の君臣佐薬使の効用に至るまでを本草の道に求められてから、後世では薬で病を治療しようとする人は本草を中心として医療を施してきた。黄帝は『素問』・『霊枢』を作られて病を受けた根本や病の有る所の経穴に至るまで、総て人迎気口等の脈診によって分かるようになった。内経が医学の根本であるのは、秦越人が内経によって自ら作り設けた八十一難の問答によって医道を詳しく研究し、医者の道を示したからである。世の医者が脈を診て病がどこにあるかを感じ、病証を細かく判断して的確な薬をだそうとするならば、難経程便利なものはない。仮に『難経』を勉強せずに医者をしていたならば、その人はやぶ医者と同じではないだろうか。

第二段
私が本草の注釈をしている人をみていると、今は東陽に住んでいる朱彦脩(朱丹渓)が著した『本草衍義補遺』によって既に本草の奥義を極めらつくしていると言っていい。それに対し、『難経』を注釈する人はたくさんいたけれども、その奥義をとらえている者はほとんどない。許昌に住んでいる滑伯仁(滑寿)先生は、内経の術を常に行ない、学術面は東垣に住んでいた李杲(李東垣)の流儀を習ったので、脈診に詳しく、薬にも詳しい。治りにくい病気や慢性化した病気も治したので、救い生かしたいう話が数多くある。私も足の病気に罹り、様々な人に治療をしてもらったけれども一向に治らなかった。そんな時ある人から伯仁先生が様々な病気を治しているという話を聞いたので、私は一度伯仁先生に診てもらおうと思った。実際に会ってその治療の仕方を聞いていると、すべて『難経』からきていることが分かった。今の世の医者が言っていることとは遙かに違っている。どうして違っているのだろうか。それは医道の精神を究めているからであろう。他の医者は知らないのである。その究めた内容をこの度『難経本義』として発表した。昔の人が思いもよらなかった考え方を見つけ、最初には図をつけ、その後『難経』の奥義を注釈している。そもそも伯仁先生は儒学を二十余年学ばれて様々な医書を参考にしておられる。だから医家で意見の違うところは折衷案を出している。あぁ、そうした考えを用いるのも仁の心となるのだろうなぁ。この『難経本義』を読んだ人は医道の真理を得るのと同じことだ。

第三段
そうは言っても得難き術である。病人の顔を望み視てその人の病を知るのを「神」という。病人の声を聞いてその人の病を知るのを「聖」という。病人に質問してその人の病をするのを「工」という。脈診をしたり、呼吸の回数等から治療を施す医者は「巧」の道を得ている。今の医者は「神」「聖」「工」を行う人はおらず、ただ「巧」を行う人ばかりである。「巧」の道の中でも言葉や文字でも伝えることができないものに、扁鵲が虢の太子を治したり、医緩が膏肓に病があるのが分かったりするものがある。『難経』の奥義を学ぶと、このようなことを行なえるようになるのは間違いないだろう。私はこのような奥義を伯仁先生が身につけていると確信を得ている。

至正二十一年(1361年)辛丑の年 十二月十六日
奉直大夫、温州路の總管、管内務農、防禦事とを兼任する 天台の劉仁本が序を書く。

というような感じです。
劉仁本という人は、漢方に興味があったのか、湯液についていろいろと書かれているのが特徴です。

この序を一言ででまとてみると、
湯液ではその奥義を見つける人が多いのに比べ、『難経』はまだその奥義をみつけだしている人は少なく、見つけ出したのはただ滑伯仁のみ。
ということでしょうか。
ここでも滑伯仁をほめちぎっています。


気になる所は、湯液の話がたくさんあるのでそれがらみが多いのですが、省略します。
ただ、一点だけ。

胗に熟して
胗は脈診のことです。岡本一抱の注には人迎気口脈診を挙げています。
そもそも『素問』では「三部九候脈診」によって書かれ、『霊枢』の脈診は「人迎気口脈診」によって書かれています。現在の脈診は「六部定位脈診」によるものが多いですが、時代や人によって脈診の仕方が違うというもの念頭においておかなければいけませんね。


第三段の「神」「聖」「工」「巧」は『難経』の六十一難の内容にあたります。「神」は望診、「聖」は聞診、「工」は問診、「巧」は切診に相当します。いわゆる四診です。この四診をすべて駆使しないと、扁鵲や医緩のような神医になることはない、ということも書かれています。
修業、修業ということですね。

これで劉仁本の序は終わりです。次は最後の序。滑伯仁自身の自序についてみていきたいと思います。
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kouitsu

Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

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