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『難經本義諺解』 難經彙考その5 五蔵について

難經彙考の続きです。
今回は、五蔵についてです。

四十一の難に云う、肝に(両)葉有り、と。四十二の難に云う、肝は左三葉、右四葉、凡て七葉、と。(両)葉と言う者は其の大を(挙)ぐ。七葉と言うは其の(つまび)らかを(つく)す。左三つ、右四つも亦た陰陽の義を相す。肝は木に屬す。木は少陽と為す。故に其の(かず)七。肺は金に屬す。金は少陰と為す。故に六葉、(両)耳。其の(数)八。心の色赤くして中ち(むな)しきは離に象るなり。脾の形は馬蹄(ばてい)に象り、中に(きょ)すれば土の義なり。腎に(両)枚有り。習坎(しつかん)の謂いなり。此れ五藏、陰陽に配合す。皆な天地、自然の理、人の能く為す所の者に非ず。馬の(胆)無く、免の脾無きが如し。物(まこと)に其の全きことを得ず。周子が云う、木は陽の(ち)、金は陰の(ち)とは是なり。



ここでの内容は、
四十一の難では肝は二葉あると言い、四十二難では肝は左へ垂れ、右へ三葉垂れて全部で七葉あると言っている。今このことを考えてみると、四十一難に二葉と言うのは左右にそれぞれ分かれている所を挙げて言っており、四十二難に七葉と言っているのは、左右へ分かれているのを詳細に見た数を言っているのだ。左は三葉で右は四葉である。左は陽であり、陽の数は奇数である。つまり三は奇数であり、陽数である。だから左に三葉あるのである。右は陰であり、陰の数は偶数である。つまり四は偶数であり、陰数である。だから右に四葉あるのである。これは左右陰陽の義を言っているのだ。肝は東方の木藏である。易では木を少陽としている。少陽の数は七である。だから肝葉の数もまた左右全て七葉となるのだ。
肺は西方の金である。易に金は少陰としている。少陰の数は八である。だから六葉と二葉であって、肺葉の数は全て八葉となるのだ。
心は南方の離火である。火の色は赤い。離は南方火の卦である。その爻は☲である。このように中は空虚になっている。だから心藏は赤色であって、赤蓮花がまだ開かないように中が空虚である。これは南方の火色、離卦の中の虚しき象りからきているのだ。
馬蹄は長く、下が四角で上が少し円のある形である。脾藏の形もまた長く、下が四角であって胃に重なり、上が少し円のある馬蹄のようである。土は四角だが上は天に応じて少し円になっており、天の中央にある。脾もまた心肺の下、肝腎の上にあって中央にある。これは全て脾の属する土の義に応じている。
腎藏の形は小豆のようで左右に二つあり、背骨の一四椎についている。このように腎藏が二つあるのは北方の水であり、位は二物を配する習坎からきている。
これらは全て五藏を陰陽、五行に配当した象りである。これは全て天地自然の道理である。人がつくりだしたものではない。自然とこのように生まれてきたのだ。しかし馬に胆が無く、兎に脾が無い。万物は全て五行陰陽に影響されているのではない。人は万物の中心であるからこそ、五藏、五行、陰陽を備えているものなのだ。周茂叔が言われるには、「木は陽の幼少、すなわち少陽であり、金は陰の幼少、すなわち少陰である。」と。

こんな感じです。
五藏の概要がうまくまとめられています。
ここでは五藏を説明するときに、『易経』からの数字の概念がちりばめられています。

易では、六が老陰(太陰)、七が少陽、八が少陰、九が老陽(太陽)と規定されています。
『五行大義』巻第一 第三論数 第一起大衍論易動静数にも、
七八を静と為し、九六を動と為す。
陽動きて進み、七を変じて九に之く。気の息するを象るなり。
(略)
陰動きて退き、八を変じて六に之く。気の消するを象るなり。

とあります。
七八の静と為すというのは、ここでは動きの静かなもの。つまり周氏が言う”穉”ということでしょう。
これより少陰や少陽の意味がでてきます。
九六の動と為すというのは、ここでは動きの激しい物。つまり極っているということでしょう。
これより太陽や太陰の意味がでてきます。
また、陽数は奇数、陰数は偶数を加味してこれを考えると、
少陽の七から老陽の九になる”消長平衡”を表し、まさに”七を変じて九に之(ゆ)く”ことになります。
少陰の八から老陽の六になる”消長平衡”を表し、まさに”八を変じて六に之(ゆ)く”ことになります。
これらから少陽の数が七となって肝も七葉となり、少陰の数が八となって八葉であると言っているのです。

心の”虚しきは離に象るなり。”とは、これも八卦の概念からきています。
離は火を象る八卦であり、☲と表されます。
離卦の☲は陽と陽にはさまれた陰に対して虚(うつ)ろと言っているのです。

脾の方形(四角)と円については、方が陰であり、円が陽となっています。
基本的に方形だけれども先は少し円になっているということは、脾は陰性のものであるけれども陽性も含んでいるということを表しているのだと思います。

腎の”習坎”とは、『易経』本文にある言葉です。
坎は水を象る八卦であり、☵と表されます。
『周易』では、
(坎下坎上)習坎は孚(まこと)有り。維(こ)れ心亨(とお)る。行けば尙(たっと)ばるること有り。
とあります。

また、最後のほうにある、「馬に胆が無く、兎に脾が無い」というのは初耳でした。動物については良く分かりませんが、実際にそうなっているのかもしれません。もしくはあったとしても、東洋的な概念における脾藏が無いというところでしょうか。「馬に胆が無く、兎に脾が無い」について、岡本一抱子が詳細に注釈しているので、参考としてその全文を引用してみます。

一説に、馬は金物。故に金は木を剋して胆無し。兎は東方の木物。故に木は土を剋して脾無し、と。愚按ずるに、馬は本南方の火畜たり。然れども『内経』『金匱要略』には金畜とする。また、五常政大論には火畜として一ならず。時珍曰く、馬の畜に在らば火に属し、辰に在らば午に属す。或る人の云う、卦に在るを乾に属し、金に属す、と。此れも亦た或いは火と為し、金と為して一ならざるなり。然れども馬の氣性を以て察する時は火畜たりとすべし。因って或る人の曰く、馬は陽畜、陽極の性たり。胆は發生、勇猛の藏たり。馬に膽あるときは、其の陽性、勇猛に甚だしくして獨り陽の如し。故に自然と胆無くして至陽、至猛を平かにす。兎は隂畜、隂極の性たり。故に宋奭が曰く、兎は明月之精、と。脾は至陰の藏たり。兎は脾あるときは其の隂、性に偏なることなく甚だしくして獨り隂の如し。是を以て自然と脾なくして偏隂を平かにす、と。この説、或いは通ず。一抱子案ずるに、五十難の五邪の本義に曰く、五行の道、我を生ずる者は休。その氣虚す、と。馬は火畜、火に盛んなる者なり。己が火氣に盛んばる時は生ずる所の母氣休虚す。胆は木にして火の生ずるの母なり。是を以て馬に胆なし。兎は金とす。宋奭が曰く、兎は明月の精。白毛有るは金の氣を得て葉に入れて尤も効あり。凡そ兎は秋深くる時に至て食す可し。金氣全うす。時珍が曰く、兎は冬月に至て木皮を噛む。已に金氣を得て氣内に實す。故に味い美なり。春に至て中麦を食して金氣衰ろう。故に美ならざるなり、と。兎肉の辛も亦た金の味わいなり。然る時は則ち兎は金獸とす。己が金氣に盛んなる時は則ち生ずる所の母氣、休虚す。脾は土にして金の生ずる母なり。是を以て兎に脾なき者か。管見此の如し。未だ是非を知らず。

ここはこんな感じです。今回は易の概念が多かったので補足を多く入れてみました。

次は『難経』を学ぶ意義についてです。
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Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

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