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『難経本義諺解』 難經彙考その7 脈診について

難經彙考の続きです。今回は脈診についてです。

晦庵(かいあん)先生、郭長陽(かくちょうよう)(医)書に(はつ)して云く、予、(かつ)(おも)うに、古人の(脈)(お)ける其の之を察すること(まこと)に一道に非ず。然れども、今世に通行する(ただ)(関)尺の法を最要と為す。且つ其の説、難(経)の首篇に(そなわ)る時は、則ち亦た不俚(ふり)の俗説には非ず。故に郭公(かくこう)、此の書(つぶ)さに其の語を載せ、(なら)びに丁徳用が三指を(密)排すの法を取て、以て之を(釈)す。夫れ難(経)は則ち至れり。徳用が法に至りては則ち(われ)(ひそ)かに(おも)う、診者の指に肥瘠(ひせき)有り。病者の(ひじ)に長短有り。是を以て相い求めば、或いは未だ定論為ることを得ず。(けだ)(かつ)(くわ)しく(経)の寸尺を分かつ所以(ゆえん)の者を考うるに、皆な(関)よりして(すす)み、(しり)ぞきて以て魚際、尺澤に(はか)る。是れ則ち所謂(関)は必ず一定の(処)有り。亦た、魚際、尺澤の外見を以て先ず識る可きが若し。然ども今の諸書には皆な的然の論無し。(ただ)千金に以て、寸口の處、其の骨自ら高くして(関)尺皆な是れに因りて(しりぞ)き取ると為すは則ち其の言の先後、位の進退、(経)文と合せざるが若し。(独)り俗間に(伝)る所の脉訣(みゃっけつ)、五七言の韻語の者は、(ことば)最も鄙淺(いせん)にして叔和(しゅくか)が本書に非ざること明らかなること甚だし。乃ち能く直ちに高骨を指して(関)と為し、其の前後を分ちて以て尺寸、陰陽の位を為す。難經本(旨)を得るに似たり。然れども世の高(医)、其の(贋)なるを以て遂に委棄して之を言うことを(は)づ。予、道に(くわ)しき者に非ざれば、以て正すこと有ること能わざるなり。(しば)らく其の説を此れに附見し、以て明らかなる者を俟て折中せん。

廬陵(ろりょう)の謝堅白が曰く、秦定四年丁卯、愚、龍興を授して憲司(けんす)に建言し、請て叔和が脉經(みゃっきょう)の本書十卷を刻む時に、儒學提舉、東陽の柳公道傳、其の端に序して曰く、朱文公の云く、俗傳の脉訣、辭(ことば)最も鄙淺(いせん)。而れども其の直ちに高骨を指して(関)と為すの説を取て難(経)に合えりと為す。文公と雖ども、亦た未だ其の正しきこと脉經(みゃっきょう)に出ることを知らずに似たりと云うは、正に此の(はつ)を謂うなり。然れども、文公、未だ脉經(みゃっきょう)を見ずと雖ども其の(ことば)脉經(みゃっきょう)脗合(ふんごう)す。脉訣は叔和が書に非ずと雖ども、其の人も亦た必ず脉經を(読)むことを知る者なり。(ただ)し、當に自ら七表八裏九道の目を立て、脉經に載する所の二十四種の脉の名義に(あた)うべからず。大いに抵牾(ていご)有り。故に後人をして疑わせしむ。



ここでの内容は、
晦庵(朱子)が郭長陽の医書の後書きに書いたことには、「私がかつて思うに、古人が脈を候うというのは其の脈を察する道がたくさんあって、一道ではないということである。今の世間に広まっている脈道は手の寸関尺の三部の法によるものが唯一の要法である。三部の脈説である寸関尺の法は、『難経』の一、二、三の難に載っているため、これは卑しき俗説でななく、古の正しい方法である。だから郭公の書には『難経』の三部の脈語を書き載せ、それと合わせて丁徳陽の三指を隙間なくならべて候う脈法を取って脈義を註釈しているのだ。そもそも『難経』は医の至理、至道の書である。だからこの脈法に間違いはない。丁徳陽の三指を隙間なくならべて候う脈法においては、私が密に思うに間違いがある。何故ならば、脈を候う医者の指にも肥えている人や痩せている人もいて同じではない。病人の前腕にも長い短いがあって同じではない。丁徳陽はこの三指を隙間なくならべて候う脈法を一例に、諸々の人の脈を相い求めただけで決定の脈論とはしていない。三指を隙間なくならべて候う脈法は、医者の指が肥えていて病者の前腕も短いときに用いると間違いは生じないが、医者の指が痩せていて病人の前腕が長いときに用いると大いに間違いが生じる。そのため三指を隙間なくならべて候う脈法のみで候うのは、脈診の定論とはならない。しかし、かつて詳しく『難経』の寸部、尺部を取り分けた方法を考えてみたとき、全て先ず関部を取り定めてから魚際の方へ進めて寸部を定め、関より尺沢の方へ退いて尺部を定めているようだ。このように関を定め、次に寸尺を定めるのはどうしてなのか。これはいわゆる関部には必ず高骨(橈骨茎状突起)があり、これは疑いようが無い基準であるため、始めに関を定めてから尺寸を分けている。魚際と尺沢は他よりも分かりやすいところである。だから関を立てて寸尺を定めているのだ。三部を候うの法はこのように明らかであるが、今の諸々の書には三部の脈法をはっきりさせているものはない。ただ、孫思邈(そんしばく)の『千金方』にのみある。しかし『難経』の法は先に関を定めた後に寸尺を定めているのに対して『千金方』には寸を言って後に関尺を言っており、『難経』とは合わない。また、『難経』には先ず関を立て、進めて寸を立て、退いて尺を立つが、『千金方』には先づ寸を進め、次に関尺を退いて立てる。このように三部の脈を候う進退も『難経』とは合わない。『難経』の脈法に合わないない諸書の中で、唯一世俗の間に伝わっていた『脈訣』は最も言葉が賤しく、理義が浅い。このことから王叔和の作でないことは明らかである。『脈訣』には直に手掌の後の高骨(橈骨茎状突起)を関とし、高骨の前を分けて寸の陽位とし、高骨の後を分けて陰位としている。『脈訣』は王叔和の本書ではないとはいっても、このように高骨を関とし、これを基準にして尺寸を分けることについては『難経』の本意を得ているといって良い。『脈訣』の三部のやり方は『難経』の本旨に合うとはいっても、世間の名高き医者は『脈訣』の書は王叔和の作ではないことを知るべきである。本来の王叔和の作である『脈訣』(正しくは『脈経』)を棄て、世俗にあった『脈訣』の中の義を言うのを恥ずかしく思っている。私は儒学者であるので医道に詳しいわけではない。故に『脈訣』の法によって是と定め、後世の脈法を正すことはできなかった。しばらくこの『脈訣』の脈説を此の後書きに付け見わして、後の医学に明かるい者に評価してもらい、『千金方』と『脈訣』の両説の同じではない部分の折中を試みてその是非を問いてもらいたい。」と。
廬陵(ろりょう)に住む謝堅白が言われるには、「秦定四年(1327年)に、私は龍興の地で学業を承って文学を教授し、憲司に天子の御文庫にある王叔和の真の『脈経』を請い受け、『脈経』の本書十巻を板に刻んで世に広めた。板行した時に、儒学提挙の役職についている東陽の地の柳公道伝が『脈經』に序を書いて言われるには、「朱子の言われる俗伝の『脈訣』の言葉は最も賤浅である言っても、脈を候う法においては直ちに高骨を指をさして関と為すの説を取って『難経』に合っている。」と。しかし、私(謝氏)が考えるに、朱子ほどの人であっても、高骨を関とする正法を王叔和の『脈經』に出ていることを知らなかったようである。もし『脈経』の本書に正法の出ていることを知っていたならば、『脈訣』の言葉をこれほどに称賛することはないであろう。そのため俗間の『脈訣』のみが『難経』の本旨を得ていると書いたのである。朱子が『脈経』を見ていなかったといっても、朱子が弁じた脈言と叔和の『脈経』の論説は自然に相い吻合して間違いはない。『脈訣』は叔和が書いたものではない偽物であるとはいっても、『脈訣』を書いた人(高陽生)も『脈経』本書の道理を読み知る程の者であった。だから『脈訣』の三部の法は自然と『脈経』の正法に合うのである。ただし、今までいわれていなかった自己の意によって新しく七表八裏九道という脈の名目を立てたため、王叔和の真の『脈経』に載せている二十四種の脈の名義と大いに食い違っている。だから後人には『脈訣』は『脈経』の真書ではないと疑わなければならない。」と。

ここでは脈診の仕方について書かれています。
ここでの議論の中心は、
・『難経』と『千金方』の脈診の仕方が異なっているということ。
・丁氏の脈診のやり方への異議。
・『脈訣』が『難経』の本旨と合うこと。
です。

途中で偽物うんぬんの話がでていますが、朱子の時代には『脈経』が世に出ていなく、『脈訣』が王叔和の作である(本来は高陽生の作)という説がでていたようです。叔和の作ではないので、偽と表現しているようです。
次の謝氏の解説によれば、脈診の仕方については高陽生も『脈経』の本旨を理解していたので、『難経』の脈診の法と合致している、としています。

歴史的なことはさておいて、脈診の法についてまとめてみます。
『難経』、『脈経』、『脈訣』の脈診は高骨、すなわち橈骨茎状突起を関上とし、そこから指をそわした魚際側を寸口、尺沢側を尺中とするやりかた。
『千金方』の脈診は寸口を先に定めて、その後に関上、尺中を定めるやりかた。
と分けることができるみたいです。
どちらがやりやすいかといえば、『難経』系の脈診のやり方になると思います。『千金方』でのやり方は、一回一回診る場所がずれる可能性があり、正しく鍼の効果を評価することができなくなります。やはり基準がしっかりしていないといけません。

また、朱子は『難経』の主旨にあっている丁氏のやり方にも疑問を投げかけています。
丁氏は『難経』の註釈家の一人で、現在では『難経集註』にその註釈をみることができます。ここでの議論はおそらく、三難の後にある「三難の書図」の部分でしょう。ここに上の文と似たようなことが書かれています。

ここでの問いかけは、指の太さ、腕の長さは人それぞれなのに、それを考えずに指を隙間なく並べてしまうとと間違いが生じてしまうのではないか、ということです。
確かに言われてみればその通りです。指の細い術者と指の太い術者がいたとして、この方法で同じ患者さんを診たら、微妙に脈の診る場所が変わってしまいます。この術者二人がこの患者さんをそれぞれ評価し合う時には、寸関尺の脈状から変わってしまう可能性があります。
これをどのように解決すれば良いかというと、腕の短い人には狭め、腕の長い人にはあらけて診るようにすれば、術者によって診ている場所が微妙に変わるということはなくなると思います。
それでも実際には診る場所は変わってしまうとは思いますが。それでもいくぶんはましになると思います。

ここの部分はこんなところですかね。
脈診をしていても、その指を押さえる場所が一回一回定まって無ければ意味をなさなくなるので要注意です。
これは脈診を始めたときには特に意識しなければなりません。どうしても一回一回診る場所がずれてしまいますから。

次はいよいよ「難經彙考」の最終回になります。要穴についてです。
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kouitsu

Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

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