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『難経本義諺解』 難經彙考その8 要穴について

「難經彙考」の続きです。
今回は要穴についてです。
ここでは主に五行穴と五藏六府についてかかれています。

項氏が家説に曰く、凡そ經絡の出る所を井と為し、留る所を榮と為し、注ぐ所を兪と為し、過ぎる所を原と為し、行く所を經と為し、入る所を合と為す。井は水の泉に象る。滎は水の(たま)るに象る。腧は水の(あな)に象る。(あな)は即ち(ゆ)の字なり。經は水の流れに象る。合は水の(き)するに象る。皆な水の義に取るなり。
藏は五つにして府は六つ。藏冗は五つにして府穴は六つ。猶お干五つにして支六つ。(声)五つにして律六つ。皆な陰陽の(数)、自然の理なり。手の厥陰の一藏を増やすと雖ども、其の(実)は心の包絡にして心に異ならず。即ち一藏にして二經なり。經の必ず十二と為ることは、猶お十二支、十二辰、十二月、十二律の十一為らしむ可からざるがごとし。亦た自然の理なり。寅卯は木と為し、巳午は火と為し、申酉は金と為し、亥子は水と為す。四行皆な二支のみにして土行(独)り辰戌丑未の四支に(あた)りて、以て十二と成る。肺肝脾腎の四藏、皆な二經にして心と包絡と、共に四經に(あた)りてりて以て十二と成る。此れ豈に人の能く為す所とならんや。

彙攷終



ここでの内容は、
項平庵先生の家説では、「そもそも、経絡の始めて出る所を井穴とし、流れ溜たる所を滎穴とし、灌注する所を兪穴とし、過ぎ行く所を原穴とし、行き経る所を経穴とし、入藏する所を合穴とする。井穴は水源を象り、滎穴は溜っている水を象り、兪穴は水の穴を象り、経穴は水の流に象り、合穴は水の帰入を象っている。これらは全て水を象っている。
藏は肝心脾肺腎の五つで、府は胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦の六つである。五藏の要穴は五つあり、六府の要穴は六つある。また、十干のうちの陽干(甲、丙、戊、庚、壬)と陰干(乙、丁、己、辛、癸)は五つずつであり、十二支のうちの陽支(子、寅、辰、午、申、戌)と陰支(丑、卯、巳、未、酉、亥)は六つずつである。声は宮、商、角、微、羽の五つ、十二律のうち陽律(黄鐘、太簇、姑洗、蕤賓、夷則、無射)は六つ、陰律(大呂、夾鐘、仲呂、林鐘、南呂、応鐘)は六つである。陽は奇数、陰は偶数。今藏穴は五つ、干五つ、声五つ。全て奇数で陽の数である。府穴は六つ、支六つ、律六つ。全て偶数で陰の数である。これは陰陽が相い配合する自然の道理である。藏は五つあってその要穴もまた五つである。しかし、経脈の配合においては手の厥陰心包経の一藏を増して六臓とするとるが、心包は正しき藏ではない。実は本心を包む経絡であって、本心と異なるものではない。つまり、本心と心包は元々一つの藏であり、経のときには手の厥陰心包経と手の少陰心経とに分かれて二経となっている。故に経脈の配合では六藏で、正藏の数は五つなのである。正藏は五つありながら経脈配合の数は必ず六陰六陽の十二経となるのは、支の数十二、時の数十二、月の数十二、律の数十二となって、十一にならないのと同じである。これもまた、自然の理である。寅卯は木とし、巳午は火とし、申酉は金とし、亥子は水とする。五行のうち、木、火、金、水の四行は全て二支ずつを主っているだけだが、土行だけ辰戌丑未の四支を主っている。四行が主っている八支と合わせて十二支となる。人の肺肝脾腎の四藏は一藏二府相い配合して全て二経ずつで合わせて八経となる。本心と心包は共に一藏であるといっても、これが四経にあたる。つまり心と小腸、心包と三焦である。八経と四経を合わせて十二経となる。このように人の身体は天地より自然とこのように恩恵をうけているものなのである。」と。
彙攷終

と、なるでしょう。ここでは鍼灸師にとって重要な五行穴と五藏六府について書かれています。
五行穴に関しては、参考として岡本一抱子の注釈も載せておきます。

凡そ經絡の出る所を井と為し、留る所を榮と為し、注ぐ所を兪と為し、過ぎる所を原と為し、行く所を經と為し、入る所を合と為す。
井栄腧原経合の義は、霊枢の本腧篇に詳らかなり。凡そ諸経に各々要穴あり。五藏の経には各々井栄兪経合と云て、要穴五つづつあり。六府の経には各々井栄兪原経合とて要穴六つづつあり。鍼を施す者は之を明らかにすることを用とす。
○凡そ経絡の始めて出る所を井穴と為し、其の流れ溜たる所を栄穴と為し、其の灌注する所を腧穴と為し、其の過ぎ行く所を原穴と為し、其の行き経る所を経穴と為し、其の入藏する所を合穴と為す。


井は水の泉に象る。
泉は井水の始て一滴湧き出る所を云う。泉源の其の始めて一滴湧出る所は甚だ深くして微なり。人身諸経の井穴の氣は深くして微なり。水の井泉の始めて湧き出る所の深く微なるに象りて井穴と号(な)づく。

滎は水の陂るに象る。
井は始めて出る所の源なり。栄は小水なり。泉の始めて出て、始めて陂(たま)る所の水は小にして亦た深し。蓋し其の源、本微なるが故に始めて陂る所も亦た小なり。人の栄穴の氣は井穴よりも微(すこ)しく盛んと雖ども、なお微小にして彼の井穴の水、始めて出て、始めて陂(たま)りて小なるに象る。

腧は水の竇に象る。
竇(あな)は水洩れ出る所の道を云う。栄は水の始めて陂(たま)る所なり。其の陂(たま)る所の小水、稍(や)や蓄えて始めて洩れ出て流れんとするを竇(あな)と云う。竇(あな)は陂(たま)るの稍(や)や盛んなる者なり。人の腧穴の氣は栄穴の氣よりは稍(や)や盛んなり。故に水の竇(あな)に象るなり。

竇は即ち窬(ゆ)の字なり。
竇(あな)の字は即ち古の窬(ゆ)の字なり。人の兪穴の兪の字と竇窬(とうゆ)の字と、此れ即ち相い通ぜり。
○愚案ずるに、霊枢に或いは腧に作り、或いは兪に作り、或いは輸に作る。馬氏が曰く、輸兪腧の三字、古通用す。輸は其の脈気の傳輸を以てなり。兪は省により、腧は肉によると。輸を本字とす。脈気の是に傳(めぐ)り輸(いた)すを以ての名なり。然れども輸字の畫(かく)多きが故に、車を省きて唯だ兪に作り、或いは人形の穴名たるが故に車を以て肉片(にくへん)に代用す。腧兪輸三字通用すべし。


經は水の流れに象る。
腧は陂(たま)りし水の始めて流るべき道の出て來るを云う。經は水、漸(ようや)く盛んにして能く大いに流れ経るの義に取る。人の経穴の氣は輸よりも漸く盛大にして、水の能く流行して盛んなるに象るなり。類注曰く、脉氣大いに経り行きて此に営す。其れ正に盛んなり。

合は水の歸するに象る。
水は地中より出て、又地中に皈入(きにゅう)す。人の合穴の氣は盛んにして且つ深し。彼の諸の流水の聚まり合わせて皈入(きにゅう)するに象る。

皆な水の義に取るなり。
井栄腧經合の義は、皆な其の義理を水道に取るなり。蓋し人の経絡流行の道は地中の水道と同じ。故に霊枢に経水篇ありて、地の十二水を以て人の十二経絡に相い配せり。是れを以て井栄腧經合の義も水に取るなり。
○霊枢には溜る所を栄と為す。と。馬氏曰く、溜と流と同じ。類注曰く、急流を溜と曰う。と。案ずるに、水の始めて出るは井なり。出て始めて溜(なが)れ留(とど)まるは栄なり。然る時は霊枢の灌の字中に留の義あり。此の書の留の字中にも亦た溜の義を存せり。
○或る人問う、家説に井栄腧經合の五字を釈して未だ過ぎる所を原と為すの釈に及ばざる者は何ぞや。曰く、原穴は府経に在りて藏経には無しとす。藏経は兪を以て原に配(あらわ)す。然る時は則ち注ぐ所を兪と為すの義と過ぎる所を原と為すの義と同じかるべし。且つ、井栄兪原経合は毎経の氣の淺深を分て五名を立つ。井の氣は甚だ深くして微なり。此れより次第に漸く盛んに進みて栄兪経合に至る者なり。原穴の氣は兪よりは盛んに、経よりは小なるべしとす。故に霊枢に注行の間を取て、唯だ過ぎる所を原と為すと云う者か。
○或る人問う、出る所を井と為すと。井穴は皆な手足四末に在り。経脉の四末に起こる所の者は實に然り。其の藏府より起こり出て四末の井穴に終わる者は何を以てか出る所を井と云わんや。曰く、出る所を井と為すの義は、経脉の發源に非ず。井穴の氣は深くして微なり。井泉の始めて出るが如き所を井と為すの義なり。如の一字を含みて視る時は則ち其の義理照然たり。水の出るが如き所を井穴と為すし、水の留るが如き所を栄穴と為すの意に取るべし。


これで「難經彙考」は終わりです。
長かった…。本来はこの後に「難経本義図」があるのですが、これは省略します。

次は本文の『難経』一難になります。
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Author:kouitsu
新米鍼灸師です。
元々違う分野を勉強していましたが、ある時身体の調子をくずしてしまい、その過程で東洋医学に興味を持ちました。

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